「ガイウス・ユリウス・カエサル」の版間の差分

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#[[ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニウス]]『皇帝伝』の記述に沿った[[紀元前100年]]<ref>スエトニウス「皇帝伝」カエサル 88ほか</ref>、
#カエサルが[[プラエトル]](法務官=就任資格が40歳以上)に就任した紀元前62年から逆算した[[紀元前102年]]
父は同名の{{仮リンク|[[ガイウス・ユリウス・カエサル (プロコンスル)|label=ガイウス・ユリウス・カエサル|en|Gaius Julius Caesar (proconsul)}} ]](Gaius Julius Caesar) で、[[ガイウス・マリウス]]は父ガイウスの義弟に当たる。父ガイウスは[[プラエトル]]を務めた後、[[アシア属州]]の[[属州総督]]を務めた。母は[[ルキウス・アウレリウス・コッタ]]の娘{{仮リンク|アウレリア・コッタ|en|Aurelia Cotta}}で、祖先に幾人もの[[執政官]]を輩出した名家の出身であった。また、カエサルには幼少の頃から家庭教師としてマルクス・アントニウス・グニポが付けられたが、グニポは[[ガリア]]系の人物であった。
 
なお、誕生月日も幾つかの説がある。カエサルの神格化を決議した後にカエサルの誕生日を祝う記念日を『{{仮リンク|ルディ・アポッリナレス|en|Ludi Apollinares}}』(7月6日から13日まで)の最終日に当たる7月13日を避けて7月12日に設置したと伝わっているため、7月13日をカエサルの誕生日とする説が有力であるが、7月12日とする説もある。<!-->英語版wikiより翻訳転載。出典は調査中。<!-->