「上祐史浩」の版間の差分

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=== 1990年代 ===
; 衆議院選挙オウム出馬
: [[1990年]]の[[第39回衆議院議員総選挙]]に、[[真理党]]として教団幹部の立候補にも[[岐部哲也]]と共に最後まで反対していたと伝えられている<ref name="kaitai">『オウム解体』宮崎学vs上祐史浩([[雷韻出版]] [[2000年]][[5月1日]])</ref>。選挙で上祐は[[東京都第5区 (中選挙区)|東京5区]]から立候補したが、最下位で落選した。この選挙が惨敗に終わり、麻原が大勢の信者達を前に話した「[[国家権力]]によって票のすり替えが行われた」という[[陰謀論]]にもただ一人異議を唱え、「自分独自の電話調査では麻原彰晃に投票すると言った[[有権者]]は100名中誰もいなかった」と発言。一人で反駁を続けたため、麻原は選挙結果の調査をするが、麻原の考えは変わらなかった<ref name="hikaring" />。
; BC兵器開発
: [[オウム真理教の兵器]]開発にも携わっており、[[生物兵器]][[オウム真理教の兵器#散布装置|風船爆弾]]開発、[[オウム真理教の国家転覆計画#ホスゲン爆弾計画|ホスゲン爆弾]]計画、第7[[サティアン]][[サリンプラント]]計画、[[亀戸異臭事件]]に関わっていた。
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