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m 朝鮮戦争勃発にともない、米国にあった資産を英仏の銀行に写した旨を追記
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== 戦後ペレストロイカまで ==
1950年6月の朝鮮戦争勃発にともなう米ソ関係の悪化で、社会主義陣営はその米国にあった資産をすべて、北欧商業銀行とナロードニキ銀行([[:en:Moscow Narodny Bank Limited|Moscow Narodny Bank Limited]])ロンドン支店に避難させた。2行は食糧買いつけのため、1963年から2年、約500トンの金を放出した。[[ドルショック]]のときは外貨を借り入れてしのいだが、1978年から1982年にかけて不作にみまわれ、再び金を売りに売った。<ref>ジャン・ボミエ著 黒木壽時編訳 『地球の支配者 銀行』 東洋経済新報社 1984年 第10章</ref><ref>この結果、ダイヤモンド・貴金属・石油の価格が下落した。</ref>
 
1961年1月<ref>この年は[[ロシア・ルーブル]]のデノミがもれなく行われて、ルーブルがドルに等価となりかけた。また、ソ連版[[国際通貨基金]]である国際経済協力銀行、いわゆるコメコン銀行の設立が決まった年でもあった。</ref>、外国貿易銀行は外国為替専門銀行になった。外国貿易銀行は業務が限定されていたので、主な外国為替・金融業務はゴスバンクの一部局が処理していた。この部局が専門銀行へ移管されたのである。こうして専門銀行は、ゴスバンク・自行系列の在外銀行と連携して政府の貿易金融を担った。