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{{Infobox UN
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2017年5月現在の加盟国は193か国であり<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/unp_a/page22_001254.html 国連の概要]外務省ホームページ</ref>、現在国際社会に存在する国際組織の中では、敵国条項が存在するなど第二次世界大戦の戦勝国の色が強いものの、最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である<ref>中谷ほか (2006:7)</ref>。
 
== 概要 ==
[[ファイル:United Nations Members.svg|300px|border|thumb|right|加盟国]]
国際連合は、[[第二次世界大戦]]を防ぐことができなかった[[国際連盟]](1919([[1919]]-[[1946年]])の反省を踏まえ、アメリカ合衆国、[[イギリス]]、[[ソビエト連邦]]、[[中華民国]]などの[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]](the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれた[[サンフランシスコ会議]]で[[国際連合憲章|国連憲章]]が署名され、同年10月24日に正式に発足した。
 
発足時の原加盟国は[[イギリス帝国]]やソビエト連邦の構成国であった一部の国を含めた51か国であった。2011年7月現在、国際連合の加盟国数は193か国で、世界のほとんどの全地域を網羅している。最も新しい加盟国は、[[南スーダン]](2011年7月14日加盟)である<ref>{{Cite web|url=http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=39034&Cr=South+Sudan&Cr1=|title=UN welcomes South Sudan as 193rd Member State|publisher=UN News Centre|date=2011-07-14|accessdate=2011-07-14 }}</ref>。
 
国連の目的は、次の三つである(国連憲章1条)。
* 国際平和・安全の維持
* 諸国間の友好関係の発展
* 経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および[[人権]]・基本的自由の助長のための国際協力
[[ファイル:UN HQ 157652121 5b5979da9e.jpg|thumb|225px|left|[[ニューヨーク]]にある[[国際連合本部ビル|国連本部]]。]]
これらの目的を達成するため、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの主要機関と、多くの付属機関・補助機関が置かれている。加えて、数多くの[[専門機関]]・関連機関が国連と連携して活動しており、全体として巨大かつ複雑な国連システム(国連ファミリー)を形成している。
国際連盟との間には法的な継続性がないものの、国際司法裁判所や国際労働機関(ILO)等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて、部分的には継続した組織といえる。
 
== 歴史 ==
=== 設立に至る経緯 ===
[[ファイル:Yalta Conference (Churchill, Roosevelt, Stalin) (B&W).jpg|thumb|right|240px|国際連合の設立に主要な役割を果たした(左から)[[ウィンストン・チャーチル]]、[[フランクリン・ルーズベルト]]、[[ヨシフ・スターリン]]([[ヤルタ会談]]にて)。]]
公称では、国連の前身は国際連盟である<ref>国際連合広報局 (2009:24)。</ref>。[[国際連盟]]は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、[[第二次世界大戦]]を防ぐことができなかった<ref>明石 (2006:30-31)、国際連合広報局 (2009:24)。</ref>。
 
[[1941年]]8月、カナダ東海岸[[ニューファンドランド島]]沖の[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]の艦上で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相が会談し、[[大西洋憲章]]を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に[[国際連盟]]に代わる[[国際平和機構]]を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた<ref>吉田 (2003:40-41)。</ref>。
 
その後、[[コーデル・ハル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]率いる[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進んだ。[[サムナー・ウェルズ]][[アメリカ合衆国国務次官|国務次官]]の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案 ({{lang-en|Draft Constitution of International Organization}})」がほぼ完成していた。ハル長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章 ({{lang-en|The Charter of the United Nations}}) 草案」を完成させた。同年7月、イギリスもヨーロッパの安全保障に力点を置いた構想を策定してアメリカに提示したが、アメリカの案は、より世界的な機構とし、安全保障だけでなく経済社会問題も扱うべきだとの考えに基づいたものであった。そして、同年8月に[[ケベック・シティー|ケベック]]で米英首脳会談が開かれたが、その時点で、米英ソ中の4国が「すべての国の[[主権]]平等に基礎を置き、大国小国を問わずすべての国の加盟のために開放される、国際の平和と安全の維持のための一般的国際機構」を創設する必要があるとの、後のモスクワ宣言の草案が既に作成されていた<ref>最上 (2005:70-72)。</ref>。
 
[[1943年]]10月に[[モスクワ]]で開かれたアメリカ、イギリス、ソ連による外相会議で「一般的安全保障に関する4か国宣言」が出され、ほぼ草案どおりの文言で、第二次世界大戦後に国際的な平和機構を再建する必要性が訴えられた。こうして、アメリカ案に沿った国際機構の創設が連合国側の構想として公式に示されることになった<ref>最上 (2005:71)。</ref>。同年の[[カイロ宣言]](米英中)、[[テヘラン会談|テヘラン宣言]](米英ソ)でも、米英ソ中の4大国が「世界の警察官」(「[[四人の警察官構想|四人の警察官]]」と呼ぶ事もある。)としての役割を果たすことが合意された<ref>吉田 (2003:41)。</ref>。
 
これを受けて、[[1944年]]8月〜10月、[[ワシントンD.C.]]の[[ジョージタウン (ワシントンD.C.)|ジョージタウン]]にある[[ダンバートン・オークス]]・ガーデンにおいて、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国の代表が会議を開き、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した([[ダンバートン・オークス会議]])。ここでは、加盟国全部を含む総会と、大国中心に構成される安全保障理事会の二つを主体とする普遍的国際機構を作ることが合意された<ref>明石 (2006:35-36)。</ref>。
 
その後、安保理常任理事国の[[拒否権]]をどの範囲で認めるかについて、米英とソ連との交渉が続いたが、1945年2月に開催されたヤルタ会談において、大国の拒否権は実質事項のみで、手続事項には適用されないこと、紛争の平和的解決が試みられている間は当事国は表決に加わらないとの妥協が成立した<ref>明石 (2006:36)。</ref>。すなわち、米英ソ中に、イギリスの希望によりフランスを加えた5か国が拒否権を有する安保理常任理事国となるという「5大国一致の原則」が合意された<ref>吉田 (2003:42-43)。</ref>。
10月24日は[[国際デー|国連デー]]として各国で記念されている<ref>国際連合広報局 (2009:25)。</ref>。
 
=== 名称 ===
「{{lang|en|the united nations}}」(連合国)という言葉が初めて用いられたのは、第二次世界大戦中、日独伊の[[枢軸国]]と対戦していた26か国がワシントンD.C.に集まり、[[1942年]]1月1日、枢軸国への対決を明らかにした「[[連合国共同宣言]](ワシントン宣言)」においてである。この名称は、前日の1941年12月31日、ルーズベルト米大統領がチャーチル英首相に提案して同意を得たとされる<ref>吉田 (2003:45)。</ref>。戦後の国際的な平和組織の名称としては、前述のとおり1943年8月に作成されたアメリカ国務省の案の中で既に使用されていたが、その後、連合国側の構想の中で使用されるようになった。一方のソ連は「世界連邦」という名称を提案していた。
 
国際連合の設立に尽力したルーズベルト大統領は、サンフランシスコ会議開幕直前である1945年4月12日に死去した。会議では、「{{lang|en|United Nations}}」という英語は複数形であり国際機構を意味するものとしては不適当ではないかとの意見もあったが、彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが合意された。しばらくは文法上の理由から{{lang|en|United Nations Organization (UNO)}}という名称も使われたが、次第に使われなくなった<ref>吉田 (2003:46)。</ref>。
一方、フランス語では「機構」を示す「{{lang|fr|Organisation}}」を付してOrganisation des Nations uniesから、「{{lang|fr|ONU}}」との略称を用いている。スペイン語(Organización de las Naciones Unidas)、イタリア語(Organizzazione delle Nazioni Unite)も同様である。<ref>吉田 (2003:46)。</ref>。ドイツ語では「連合国」と直訳している。
 
日本においては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」、国際機構に対しては「国際連合」との訳語が一般に用いられてきた。後者を軍事同盟の連合国と区別するために「国際連合」と意訳したのは外務官僚であるとされる<ref>吉田 (2003:39, 46)。</ref>。ただし、連合国側も日本の占領時には連合国について"the Allied Powers"と表記しており、"the United Nations"という用語を軍事的な意味で継続して使用する意思はなかった。1944年10([[昭和]]19年)10月にダンバートン・オークス会議で発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には、既に「国際連合」という訳語が用いられており<ref>外務省条約局「条約集号外第18号」</ref>、その後も国際機構を指す言葉としては戦中<ref>{{アジア歴史資料センター|B02033038700}}</ref>から戦後、現在に至るまで使用されている。朝日新聞は、駐英大使{{疑問点|date=2014年6月|title=駐英大使一覧には名前が無く、戦時中には}}の[[森治樹 (外交官)|森治樹]]が名付け親だとする話を報じている<ref>「朝日新聞」平成25年6月19日朝刊12ページ。国連本部主任広報官などを務めた吉田康彦への取材を行った結果によるもの。同紙は森を知る複数の外務省OBに電話したが、経緯はわからなかったという。ちなみに、国連の前身「League of Nations」も直訳の「国家連盟」ではなく「国際連盟」と訳された。外交史料館によると、外務省で訳を検討した際、当時の欧米課長[[武者小路公共]]が思いついたという。</ref>。
 
日本と同様に漢字を使用している中華民国や[[中華人民共和国]]では「{{lang|zh|聯合國/联合国}}」(戦前の諸国連合の名称としては「{{lang|zh|盟國}}」)が主に用いられている。[[大韓民国]]では、日本と同じく「{{lang|ko|國際聯合}}(국제연합)」であるが、英音短縮であるUN(「ユーエン」と発音、表記は「{{lang|ko|'''유엔'''}}」)が用いられる方が一般的である<ref>朝日新聞  平成25年6月19日朝刊12ページ。同紙の記事では、韓国の大手紙に「国際連合」が初登場したのは45年12月とされている。韓国紙記者や外交官は「日本の敗戦まで韓国は日本に併合されていたのだから、日本の影響とみるのが当然」としている。ただし46年11月から「UN」というローマ字表記も使われ始め、今ではこちらの方が定着している。</ref>。
 
=== 設立後の歴史 ===
1946年から[[1953年]]までの間、初代事務総長を務めたのは'''[[トリグブ・リー]]'''([[ノルウェー]]出身)であった。その任期中には[[パレスチナ問題]]が顕在化し、1947年11月29日の総会で[[パレスチナ分割決議]]がなされたが、翌1948年から[[第一次中東戦争]]に至った。[[国際連合休戦監視機構]] (UNTSO) が派遣され、事実上初の[[国際連合平和維持活動|国連平和維持活動]] (PKO) となった。また1950年には[[朝鮮戦争]]が勃発し、安全保障理事会でのソ連不在の間に米国を中心に「[[国連軍]]」が派遣される事態となった<ref>明石 (2006:167-68)。</ref>。国連の目指した[[集団安全保障]]は、東西[[冷戦]]のはざまで、機能不全に陥った<ref>吉田 (2003:28)。</ref>。一方、1948年に[[世界人権宣言]]が総会で採択され、1951年には[[難民条約]]が採択されて[[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官事務所]] (UNHCR) が発足するなど、安全保障以外の面での活動も始まっていった。
 
1953年から[[1961年]]までの第2代事務総長'''[[ダグ・ハマーショルド]]'''([[スウェーデン]]出身)の任期中にも、パレスチナ問題は再燃し、1956年の停戦違反を機にスエズ危機([[第二次中東戦争]])に至った。安保理は英仏の拒否権により機能停止に陥ったが、事務総長のリーダーシップにより、総会決議に基づいて[[第一次国際連合緊急軍|第一次国連緊急軍]] (UNEF I) が派遣され、これが初の正式なPKOとなった<ref>明石 (2006:168-71)。</ref>。他方、1953年の[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]米大統領による国連総会での[[平和のための原子力]]演説を契機として、1957年[[国際原子力機関]] (IAEA) が発足した。1956年には、[[日本]]も国連加盟を果たした<ref>日本国内では加盟の際に[[恩赦]]が行われ、造船産業に関する[[造船疑獄|政治資金規正法違反]]で起訴されていた元[[自由党]][[幹事長]]の[[佐藤栄作]]が免訴されている。</ref>。ハマーショルド事務総長の手腕はソ連圏を除く加盟国から絶大な信頼を得、1958年の[[レバノン]]事件、[[タイ王国|タイ]]と[[カンボジア]]の紛争、[[ラオス]]問題などで緊張緩和に努め、「国連のプレゼンス」という言葉が国際外交で常用語となった。1960年の[[コンゴ動乱]]ではPKOとして[[国際連合コンゴ活動|国連コンゴ活動]]が展開され、事務総長も調停に努めたが、1961年9月、事務総長は任務遂行中に[[北ローデシア]](現[[ザンビア]])の飛行機事故で死亡した<ref>明石 (2006:171-73)。</ref>。
 
1961年から[[1971年]]まで第3代事務総長を務めたのは'''[[ウ・タント]]'''([[ビルマ]]出身)である。これに先立つ1960年の[[植民地独立付与宣言]](総会決議)に象徴されるように、1960年代には多くの[[植民地]]が独立を果たし、次々と国連に加盟した。1961年、第1回非同盟諸国会議が開かれ、米ソいずれの陣営にも属しない[[非同盟諸国]]が国連の多数派として出現し、1965年には加盟国の約7割に達した<ref>最上 (2005:141)。</ref>。1964年、第1回[[国際連合貿易開発会議|国連貿易開発会議]] (UNCTAD) が開かれ、そこで途上国による[[77ヶ国グループ]] (G77) が結成された。77ヶ国グループは、その後も構成国を増やし、国連での投票等で一致した行動をとることによって先進国に対抗する大きな力を有するに至っている<ref>カウフマン (1983:96, 131-33)。</ref>。ウ・タント事務総長も、非同盟主義に共鳴する立場から、冷戦下において東側と西側が持つイデオロギー性を批判し、[[ベトナム戦争]]をめぐって[[リンドン・ジョンソン]]米大統領と距離を置くとともに、途上国の開発の問題を訴えた<ref>明石 (2006:173-76)。</ref>。なおベトナム戦争と中ソ対立のさなかで、常任理事国である中華民国が追放され、同国と対立する中華人民共和国が代わりに加盟する([[アルバニア決議]]の採択)。彼の任期中には、1963年に初の核軍縮条約である[[部分的核実験禁止条約]] (PTBT) が署名され(同年発効)、1968年に[[核拡散防止条約|核不拡散条約]] (NPT) が総会で採択される(1970年発効)など、核[[軍縮]]への取組みも始まった。また、彼は[[宇宙船地球号]]を掲げて<ref>http://www.wowzone.com/mc-lee.htm</ref>地球環境問題にも取り組み、[[アースデー]]の制定と後の[[国際連合人間環境会議|国連人間環境会議]]の開催決定や[[国際連合環境計画|国連環境計画]] (UNEP) 設立決定に関わる<ref>DeSombre, Elizabeth (2006). Global Environmental Institutions .Rutledge. pp. 22–23.</ref><ref>Lewis, Terrance L. (2012). "U Thant". Salem Press Biographical Encyclopedia:Research Starters . Salem Press.</ref><ref>Strong, Maurice; Introduction by Kofi Annan (2001). Where on Earth are We Going? (Reprint ed.). New York, London: Texere. pp. 120–136. ISBN 1-58799-092-X.</ref>など国連は新しい任務を負うこととなった。
 
[[1972年]]から[[1981年]]までの第4代事務総長'''[[クルト・ヴァルトハイム]]'''([[オーストリア]]出身)の任期中には、1973年の[[第四次中東戦争]]とそれに対する[[第二次国際連合緊急軍|第二次国連緊急軍]] (UNEF II) の派遣、[[キプロス問題]]の再燃などがあった<ref>明石 (2006:176-78)。</ref>。また、社会経済開発分野では、[[南北問題]]も深刻化し、[[石油輸出国機構]] (OPEC) による石油禁輸([[オイルショック]])、1974年の国連資源特別総会の開催に見られるように[[資源ナショナリズム]]が高揚した。1981年の[[カンクン]]での南北サミットでは事務総長の努力にもかかわらず南北関係が好転しなかった<ref>明石 (2006:176-78)。</ref>。
 
[[1982年]]から[[1991年]]までの第5代事務総長'''[[ハビエル・ペレス・デ・クエヤル|ハビエル・デクエヤル]]'''([[ペルー]]出身)の任期中には、[[イラン・イラク戦争]]、[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|アフガニスタン紛争]]、[[ナミビア]]内戦、[[アンゴラ内戦]]などがあり、国連のあっせん・仲介で停戦など一定の成果が上がった<ref>吉田 (2003:29)。</ref>。1990年代に入ると、冷戦の終結に伴って、安保理の平和維持機能が復活し、1991年の[[湾岸戦争]]では安保理の[[武力行使容認決議]]に基づき[[多国籍軍]]が派遣された<ref>吉田 (2003:29)。</ref>。
 
[[1992年]]から[[1996年]]までの第6代事務総長'''[[ブトロス・ブトロス=ガーリ|ブトロス・ガリ]]'''([[エジプト]]出身)の任期中には、カンボジア、[[ソマリア]]、[[ルワンダ]]、[[ボスニア]]([[旧ユーゴスラビア]])、[[モザンビーク]]などに次々PKOが派遣され、ガリ事務総長が1992年の『[[平和への課題]]』と題する報告書で訴えたとおり、PKOに平和執行部隊としての機能も期待された。しかし、一定の成果を上げたカンボジアやモザンビークと異なり、ソマリア、ルワンダ、ボスニアではPKOは十分な役割を果たすことができなかった<ref>明石 (2006:179-82)。</ref>。社会経済開発の分野では、1992年、[[リオデジャネイロ]]で[[環境と開発に関する国際連合会議]](地球サミット)が開かれ、「[[持続可能な開発]]」の理念が普及した。1994年、[[国際連合開発計画|国連開発計画]] (UNDP) が年次報告書で「[[人間の安全保障]]」という理念を提唱した。
 
[[1997年]]から[[2006年]]まで第7代事務総長を務めた'''[[コフィー・アナン]]'''([[ガーナ]]出身)は、国連の行政改革に取り組み、縦割りを是正するため執行委員会の設置などを行った<ref>明石 (2006:184)。</ref>。彼の任期中には、1998年に[[国際刑事裁判所]] (ICC) 設立のための[[国際刑事裁判所ローマ規程|ローマ規程]]が採択されたり(2003年発足)、2000年のミレニアム記念総会で途上国の開発目標などを定める[[国連ミレニアム宣言]]が採択されたりした。2001年、国連はアナン事務総長とともに[[ノーベル平和賞]]を受賞した<ref name="Nobel" />。もっとも、[[イラク]]民衆救済のための[[石油食料交換プログラム]](1995年-2003年)に関し、国連事務局幹部の不祥事が後に発覚し、アナンの息子が勤めていた会社と国連との不透明な関係も指摘されるなど、事務総長自身の廉潔性も問われることとなった<ref>明石 (2006:185-86)。</ref>。安全保障理事会の承認がない対外的な軍事力の行使は常に批判されるが、安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五大国の軍事力の行使は、国際社会や国際連合はそれを抑止する力がないので、だれにも抑止できない状態である。
 
2007年から2016年まで'''[[潘基文]]'''([[大韓民国|韓国]]出身)が第8第事務総長を務めた。
 
[[2017年]]、第9代事務総長'''[[アントニオ・グテーレス]]'''([[ポルトガル]]出身)が就任した<ref>{{Cite news|title=New UN chief Guterres pledges to make 2017 'a year for peace'|newspaper=UN News Centre|date=2017-01-01|url=http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=55899#.WGlQRvmLSM8|accessdate=2017-01-01}}</ref>。
 
== 機関 ==
{{See also|国際連合機関}}
国際連合は、6つの主要機関と、その下に置かれた付属機関・補助機関から成る。また、国際連合と連携関係を持ち、独立した専門機関、関連機関もある。こうした諸機関を総称して'''国連システム'''(国連ファミリー)という<ref>国際連合広報局 (2009:49)。</ref>。
 
=== 主要機関 ===
国際連合の主要機関として、総会、[[安全保障理事会]]、[[経済社会理事会]]、[[信託統治理事会]]、[[国際司法裁判所]]、[[国際連合事務局|事務局]]の6つの主要機関を設けている<ref>国際連合広報局 (2009:28)。</ref>。
 
==== 総会 ====
[[ファイル:UN meeting on environment at General Assembly.jpg|thumb|225px|left|総会議事堂]]
[[国際連合総会|総会]]は、全加盟国で構成され、国連の関与するすべての問題を討議する。各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する[[多数決]]制が取られている。[[国際連合総会決議|総会の決議]]は加盟国または安全保障理事会に対する勧告をすることができるにとどまり、法的拘束力を持たない。しかし、重要な国際問題に対する世界の世論を示すものであり、国際社会の道徳的な権威を備えている<ref>国際連合広報局 (2009:28-31)。</ref>。
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
* 第1委員会:軍縮と国際安全保障
* 第2委員会:[[経済]]と[[金融]]
* 第3委員会:社会、[[人道]]と[[文化]]
{{Col-2}}
* 第4委員会:特別政治問題と[[非植民地化]]
* 第5委員会:[[行政]]と[[予算]]
* 第6委員会:[[法律]]
{{Col-end}}
 
==== 安全保障理事会 ====
[[ファイル:UN security council 2005.jpg|thumb|225px|安全保障理事会室]]
[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会(安保理)]]は、国連において国際の平和と安全に主要な責任を負う機関である。15か国で構成され、[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[ロシア連邦]](1991年までは[[ソビエト連邦]])、[[中華人民共和国]](1971年までは[[中華民国]])の5か国が常任理事国、それ以外の10か国は総会で2年の任期で選ばれる非常任理事国である<ref>国際連合広報局 (2009:31)。</ref>。
安保理の補助機関として、人道に対する罪を訴追するために設けられた[[旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所]](ICTY)、[[ルワンダ国際刑事裁判所]](ICTR)、また[[アメリカ同時多発テロ事件]]を受けて設けられた反テロリズム委員会がある<ref>国際連合広報局 (2009:33)。</ref>。
 
==== 経済社会理事会 ====
[[国際連合経済社会理事会|経済社会理事会(経社理、ECOSOC)]]は、経済・社会・文化・教育・保健の分野で、専門機関等を含む国連ファミリーの活動を調整するために設置された機関である。54か国で構成され、理事国は3年の任期で総会で選ばれる。各国が1票を有し、決定は過半数で行われる<ref>国際連合広報局 (2009:34)。</ref>。
 
また、経社理は、資格を有する[[非政府組織]](NGO)と協議をすることができる(国連憲章71条)。2870以上のNGOが経社理と協議する地位を与えられている。NGOは特別の経験や専門知識を持ち、国連と市民社会とを結びつける貴重な存在であると考えられており、国連と提携NGOとの関係は、時代の進展とともに増大している<ref>国際連合広報局 (2009:36)。</ref>。
 
==== 信託統治理事会 ====
[[国際連合信託統治理事会|信託統治理事会]]は、未独立の[[信託統治]]地域が自治・[[国家の独立|独立]]に向けた準備をすることができるようにすることを目的に設立された。[[1994年]]までに、すべての信託統治地域が自治または独立を達成したことから、その任務をほぼ完了したとして活動を停止した<ref>国際連合広報局 (2009:36-37)。</ref>。
 
==== 国際司法裁判所 ====
[[ファイル:Peace Palace covered by the first flakes of snow of 2009.jpg|thumb|left|200px|ハーグの国際司法裁判所。]]
[[国際司法裁判所|国際司法裁判所(ICJ)]]は、国連の主要な[[司法]]機関である(国連憲章92条)。所在地はオランダの[[デン・ハーグ|ハーグ]]である。15名の[[裁判官]]で構成され、そのうちのいずれの2人も同一の[[国籍]]であってはならない([[国際司法裁判所規程]]3条)。実際には、西欧・北米5名、東欧2名、中南米2名、アジア3名、アフリカ3名という地理的配分の原則がとられている。任期は9年で、3年ごとに5名が改選される(規程13条)<ref>中谷ほか (2006:302)。</ref>。
また、裁判の強制権が無いため、裁判を申し込まれた国が拒否すれば裁判を行うことができない。
 
==== 事務局 ====
[[ファイル:António Guterres meeting with Iranian Interior Minister 01.jpg|サムネイル|315x315ピクセル|第9代事務総長・[[アントニオ・グテーレス]]]]
[[国際連合事務局|事務局]]は、国連の日常業務を遂行する機関であり、他の主要機関に役務を提供するとともに、それらの機関が決定した計画・政策を実施する。事務総長が統括する。1年以上の契約を持つ事務局職員は約2万5530人、短期契約職員は約3万0500人である。事務総長および事務局職員は、いかなる国の政府からも、国連以外のいかなる当局からも指示を受けない(国連憲章100条)<ref>国際連合広報局 (2009:39)。</ref>。
{{Col-begin}}
{{Col-3}}
* 事務総長室 (OSG)
* 内部監査部 (OIOS)
* 法務部 (OLA)
* 政治局 (DPA)
* 軍縮部 (DDA)
* [[国連国際防災戦略|国際防災戦略 (ISDR)]]{{Col-3}}
* {{仮リンク|国際連合平和維持活動局|label=平和維持活動局|en|United Nations Department of Peacekeeping Operations}} (DPKO)
* フィールド支援局 (DFS)
* [[国際連合人道問題調整事務所|人道問題調整事務所]] (OCHA)
* 経済社会局 (DESA)
* 総会・会議管理局 (DGACM)
{{Col-3}}
* 広報局 (DPI)
* 管理局 (DM)
* 安全保安局 (DSS)
* 後発開発途上国、内陸開発途上国、小島嶼開発途上国担当上級代表事務所 (UN-OHR-LLS)
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国連の本部ビルはニューヨークにあるが、世界各地に事務所があり、その中で中心的な役割を担うのは[[国際連合ジュネーヴ事務局|ジュネーヴ事務局]] (UNOG)、[[国際連合ウィーン事務局|ウィーン事務局]] (UNOV)、[[国際連合ナイロビ事務局|ナイロビ事務局]] (UNON)である<ref>国際連合広報局 (2009:50-51)。</ref>。
 
=== 諸計画・基金 ===
国連システムには、次のような計画・基金が含まれる。これらは国連憲章7条2に基づいて設置された総会の補助機関であるが、それぞれ個別の予算を持っている<ref>国際連合広報局 (2009:49, 52)。</ref>。1960年代から1970年代にかけて第三世界から多数加盟した国々が総会で多数派となった結果、総会決議によりUNDPをはじめとする開発関係の補助機関が設置された(そのうちUNIDOなど、いくつかは専門機関に移行した)。他の国連機関と活動内容が重複するものもあるが、統廃合は進んでいない<ref>吉田(2003:121, 144)。</ref>。
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* [[国際連合貿易開発会議]](UNCTAD)
* [[国連薬物犯罪事務所]](UNODC)
* [[国際連合環境計画]](UNEP)
* [[国際連合児童基金|国連児童基金]](UNICEF)
{{Col-3}}
* [[国際連合開発計画]](UNDP)
* [[国際連合人口基金|国連人口基金]](UNFPA)
* [[国際連合難民高等弁務官事務所]](UNHCR)
* [[世界食糧計画]](WFP)
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* [[国際連合パレスチナ難民救済事業機関|国連パレスチナ難民救済事業機関]](UNRWA)
* [[国際連合人間居住計画|国連人間居住計画]](UN-HABITAT)
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このほか、総会の補助機関として、いくつかの調査訓練機関や[[国際連合大学|国連大学]](UNU)などの機関がある。
 
=== 専門機関 ===
専門機関は、政府間の協定によって設けられ、経済・社会等の各分野において国際的責任を有する国際組織で、かつ国連との間で連携協定を締結しているものをいう(国連憲章57条、63条)。国連ファミリーに含まれるが、国連とは別個の国際法主体性を有する、独立した国際組織である<ref>中谷ほか (2006:71)。</ref>。中でも、国際金融機関である世界銀行グループとIMFは最も独立色が強く、規模も国連本体に並び、次いでWHO、FAO、ILO、UNESCOの4機関の規模が大きい。これらの専門機関が力を持つ余り、経社理が形骸化して経済社会分野の国連改革が進まないとの批判もある<ref>吉田 (2003:124-26, 142)。</ref>。
 
 
==言語==
国連事務局の作業言語は、[[英語]]と[[フランス語]]である<ref name="un_language">[http://www.un.org/en/aboutun/languages.shtml Official languages of the United Nations] 国際連合</ref>。実質的には英語が使用されることが多い<ref>[http://www.afpbb.com/article/politics/2691540/5284392 国連でのフランス語使用拡大を、仏大統領特使が要望] AFP BBNews 2010年02月06日 15:47  発信地:国連本部/米国</ref>。国連の[[公用語]]は、英語、フランス語、[[ロシア語]]、[[中国語]]、[[スペイン語]]、[[アラビア語]]の6言語<ref name="un_language" />である。公式文書と公式会合での発言は、最小限これらの公用語に翻訳される。国連発足時からの公用語は、現在の言語よりアラビア語を除いた5言語であった<ref>{{Cite web|url=http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/032/53/IMG/NR003253.pdf |format=PDF |title=2(1). Rules of procedure concerning languages |publisher=国際連合 |accessdate=2013-09-14}}</ref>。アラビア語が公用語に追加されたのは、1973年の第30回総会においてである<ref>{{Cite web|url=http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/282/62/IMG/NR028262.pdf |format=PDF |title=3190(XXVIII). Inclusion of Arabic among the official and the working languages of the General Assembly and its Main Committees |publisher=国際連合 |accessdate=2013-09-14}}</ref>。
 
国際連合本部は米国ニューヨーク市に置かれているが、国際連合で用いられている英語は[[イギリス英語]]である。日付が「24 October 1945」と表記されたり([[アメリカ英語]]:「October 24, 1945」)、単語のつづりが「{{lang|en-gb|organi'''s'''ation}}」など英国式になったりする({{lang-en-us|organi'''z'''ation}})。
|+ 2017年の分担率上位10か国<ref>{{Cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jp_un/yosan.html|title=2015-17年国連通常予算分担率・分担金|accessdate=2016-01-27|year=2016|publisher='''日本国外務省'''}}</ref>
|-
!&mdash; !! 国 !! 分担率 (%)
|-
|align="right"|1||{{USA}}||align="right"|22.000
|align="right"|2||{{JPN}}||align="right"|9.680
|-
|align="right"|3||{{CHN}}|| align="right" |7.921
|-
|align="right"|4||{{DEU}}|| align="right" |6.389
|-
|align="right"|5||{{FRA}}|| align="right" |4.859
|-
|align="right"|6||{{GBR}}|| align="right" |4.463
|-
|align="right"|7||{{BRA}}|| align="right" |3.823
|-
|align="right"|8||{{ITA}}|| align="right" |3.748
|-
|align="right"|9||{{RUS}}|| align="right" |3.088
|-
|align="right"|10||{{CAN}}|| align="right" |2.921
|}</div>
 
国連の予算は、主に通常予算とPKO予算に分かれている<ref>北岡 (2007:24)。</ref>。
 
通常予算は、2年が単位である。事務総長が提出し、専門家から成る行政予算問題諮問委員会が審査する。そして、総会で承認される(国連憲章17条)。2006年-07年の予算は38億ドルであった。通常予算の主な財源は加盟国からの分担金であり、分担率は専門家から成る分担金委員会の勧告に基づいて、総会が承認する。分担率は基本的に加盟国の支払能力(全世界の[[国民総生産|GNP]]に占める加盟国の割合等)を考慮して決められるが、[[2000年]]、いかなる国も分担率の上限を22%とすることが総会で決定された(なお、上限にかかるのはアメリカのみである)。[[2010年]]における上位10か国の分担率は右表のとおりである。しかし、多くの加盟国が分担金を滞納しており、国連の財政状況は不安定である。[[2006年]]末現在、財政的義務を負う191加盟国のうち分担金を全額支払った国は134か国にとどまり、滞納額は3億6200万ドルに達した<ref>国際連合広報局 (2009:45-47)。</ref>。例えば、アメリカは、国連の組織と業務に無駄が多いとして、分担金の支払を制限している<ref>北岡 (2007:25-28)。</ref>。
 
[[平和維持活動|PKO]]予算は、毎年7月1日から1年間を単位とし、総会が承認する。これも加盟国の分担金によってまかなわれるが、通常予算よりも安保理常任理事国の分担率が高く設定されている<ref>国際連合広報局 (2009:47)。</ref>。額は1990年代以降増加傾向にあり、[[2009年]]7月から[[2010年]]6月までの1年間の平和維持活動予算は約79億ドルであった<ref>{{Cite web|url=http://unic.or.jp/information/budget/|title=予算|publisher=国際連合広報センター|accessdate=2010-11-15 }}</ref>。PKO予算の滞納額も、[[2006年]]末で19億ドルに達している<ref>国際連合広報局 (2009:49)。</ref>。
 
なお、[[国連児童基金]](UNICEF)、[[国連開発計画]] (UNDP)、[[国連難民高等弁務官]] (UNHCR) といった諸計画・基金や、専門機関は、それぞれ独立した予算を持っており、各国や個人からの拠出金によって財政をまかなっている<ref>国際連合広報局 (2009:49)。</ref>。
国際の平和と安全の維持は、国連の主要な目的の一つである。国連憲章は、国際の平和及び安全の維持に関する責任を安保理に負わせている(24条)。
 
国連は、ある国家が侵略等の重大な国際法違反を犯した場合に、国連加盟国が団結して終了させるという集団安全保障の理念の下に設立され、その手段として後述の国連軍を想定していた。しかし、米ソ冷戦の下、安保理常任理事国の拒否権に阻まれて国連軍の規定は発動されなかった。それに代わるものとして、[[北大西洋条約機構]] (NATO) や[[ワルシャワ条約機構]]という地域的防衛機構が、国連憲章51条により認められた[[集団的自衛権]]を行使するという集団防衛体制が生まれた。他方で、国連総会は、[[1950年]]11月3日、安保理が「その主要な責任」を果たせない場合に、総会が軍隊の使用を含む集団的措置を勧告でき、24時間以内に緊急特別総会を招集できるとする[[平和のための結集決議]]を採択した。総会決議には安保理決議と異なり法的拘束力はないものの、今まで度々同決議に基づいて紛争地域における平和維持活動 (PKO) が展開されてきた<ref>明石 (2006:117-22)。</ref>。
 
冷戦が終結した1990年代以降は、後述のとおり、PKOの役割が拡大するとともに、安保理の武力行使容認決議により多国籍軍が結成されることも多く、近年では両者の役割分担・協力関係も見られる。
 
[[ファイル:East timor independence un2.jpg|thumb|right|[[東ティモール]]でのPKOに従事するオーストラリア軍兵士(2002年)。]]
1990年前後に米ソ冷戦が終わったころから、PKOは、和平合意が結ばれた後の暫定的期間に、治安の維持、[[選挙]]の組織・監視、[[難民]]の帰還、戦後の復旧・復興などを行うという新しい任務を負わされるようになった。軍人以外に、専門の異なる[[文民]](軍事監視員、文民警察官、行政官、選挙専門家、難民担当官、人権専門家、復旧支援担当官、国連ボランティアなど)が多数参加するようになった。1992年-93年に派遣された[[国際連合カンボジア暫定統治機構|国連カンボジア暫定統治機構]] (UNTAC  アンタック) や1992年-94年の[[国際連合モザンビーク活動|国連モザンビーク活動]](ONUMOZ) は、このような第二世代PKOの代表例であり、十分な成果を挙げた<ref>明石 (2006:124-25)、中谷ほか (2003:329)。</ref>。
 
[[ブトロス・ガリ]]事務総長は、1992年の『平和への課題』でPKOを「平和執行部隊」として事実上の軍事的強制措置を担わせようとする構想を提案した。これを受けて、1993年-95年の[[第二次国際連合ソマリア活動|第二次国連ソマリア活動]] (UNOSOM II)、1992年-95年旧ユーゴスラビアに展開した[[国際連合保護軍|国連保護軍]] (UNPROFOR)、1993年-96年の[[国際連合ルワンダ支援団|国連ルワンダ支援団]] (UNAMIR) は、いずれも違法行為停止のため自衛を超えて武力行使を行う「戦うPKO」としての任務を負わされた(第三世代PKO)。しかし、任務に見合う予算や兵力が与えられず、また有力国の協力が得られなかった結果、[[ジェノサイド]]などの人道的惨劇を前にしながら、実効的に対処することができなかった<ref>明石 (2006:125-27)、中谷ほか (2003:329)。</ref>。これに対して国連内部や加盟国からの反省があり、ガリ事務総長も、1995年の『平和への課題――追補』において、現状ではこうした平和執行型PKOを意図すべきではないと軌道修正した<ref>明石 (2006:126)。</ref>。1990年代後半からは、PKOは紛争後の後始末という本来の任務を担当し、違法行為の停止は国連憲章第7章の下の多国籍軍が担当するという役割分担が行われるようになり、PKOと多国籍軍との間で協力や任務の引き継ぎなども行われている<ref>中谷ほか (2003:329)。</ref>。
国連が特に優先的な課題としてきたのは、[[大量破壊兵器]]の問題、すなわち(1)核兵器の削減と究極的な廃絶、(2)化学兵器の廃棄、(3)生物兵器禁止の強化であった<ref>国際連合広報局 (2009:199)。</ref>。(1)'''[[核兵器]]'''の封じ込めの努力は米ソの二国間条約でもある程度進展したが、1968年に[[核拡散防止条約]] (NPT) が国連総会で採択され、最も普遍的な軍縮条約となった。締約国は、国連の関連機関である[[国際原子力機関]] (IAEA) の保障措置を受け入れるよう求められる。しかし、非締約国である[[イスラエル]]、[[インド]]、[[パキスタン]]による核開発問題や、締約国でも核開発疑惑のある[[イラン]]、脱退を表明した[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の問題など、条約の実効性が問題となっている。1996年には[[包括的核実験禁止条約]] (CTBT) が加盟国の圧倒的多数により採択され、署名のために開放されたが、まだ発効の目処が立っていない<ref>国際連合広報局 (2009:203-07)、中谷ほか (2003:343-45)。</ref>。(2)'''[[化学兵器]]'''に関しては、1997年に[[化学兵器禁止条約]] (CWC) が発効し、国連の関連機関である化学兵器禁止機関 (OCPW) が査察を行っている。(3)'''[[生物兵器]]'''については、[[生物兵器禁止条約]] (BWC) が1972年に署名され、1975年に発効した。同条約には検証機構についての規定がなく、検証や履行確保の方法が課題となっている。2006年の再検討会議で、実施支援班を設置することが決められた<ref>国際連合広報局 (2009:207-08)、中谷ほか (2003:345)。</ref>。近年、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、大量破壊兵器が、テロリストなど非国家主体の手に落ちた場合の危険が認識されるようになり、総会は2002年、[[テロリスト]]が大量破壊兵器とその運搬方法を取得することを防止する措置に関する決議を採択した。また、安保理は、2004年、大量破壊兵器を開発、所有、利用等しようとする非国家主体に対していかなる支援も控えることを全加盟国に義務付けた([[国際連合安全保障理事会決議1540|安保理決議1540]])<ref>国際連合広報局 (2009:199-200)。</ref>。
 
一方、'''通常兵器'''に関しては、[[特定通常兵器使用禁止制限条約]](残忍兵器禁止条約)が国連で採択され1983年に発効したが<ref>{{Cite web|url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/arms/ccw/ccw.html|title=特定通常兵器使用禁止制限条約|publisher=外務省|year=2007|accessdate=2010-11-15 }}</ref>、さらに交渉が続けられた結果、[[対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約]]が1997年に採択され、1999年に発効した。これにより、[[対人地雷]]の破壊・除去が進んでいる。このほか、国連では、小型武器非合法取引の規制に向けた取組みや、国連通常兵器移転登録制度の設立を行っている<ref>国際連合広報局 (2009:209-12)。</ref>。
 
===経済社会開発===
世界の人々の経済的・社会的福祉の実現は、国連の主要な目的の一つである。そのための開発の必要性、特に[[先進国|先進工業国]]と[[開発途上国]]との格差を埋めることの重要性は、1961年に始まった数次の[[国連開発の十年]]を機に強く表明されるようになった<ref>国際連合広報局 (2009:222)。</ref>。[[1995年]]に[[コペンハーゲン]]で行われた[[世界社会開発サミット]]で、国際社会が貧困、失業、社会の崩壊といった問題と戦う必要性が訴えられたのをはじめとして、1990年代には多くの開発関係の世界会議が開催された<ref>国際連合広報局 (2009:262-63)。</ref>。[[2000年]]9月の特別総会(ミレニアム・サミット)で採択された国連ミレニアム宣言は、開発の問題に重点を置き、具体的な開発目標を設定した。同宣言と、1990年代の国際会議やサミットで採択された国際開発目標とを統合し、2015年までに達成すべき目標としてまとめたのが'''[[ミレニアム開発目標]]''' (MDGs) である<ref>{{Cite web|url=http://www.undp.or.jp/aboutundp/mdg/|title=ミレニアム開発目標(MDGs)|publisher=国連開発計画 (UNDP) 東京事務所|accessdate=2010-11-29}}</ref>。すなわち、(1)極度の貧困と[[飢餓]]を撲滅すること、(2)普遍的な[[初等教育]]を達成すること、(3)[[ジェンダー]]の平等を推進し、女性の地位向上を図ること、(4)[[乳幼児死亡率]]を下げること、(5)[[妊産婦]]の健康を改善すること、(6)[[HIV]]/[[エイズ]]、[[マラリア]]、その他の病気と戦うこと、(7)環境の持続可能性を確保すること、(8)開発のためのグローバル・パートナーシップを推進することが目標とされた<ref>国際連合広報局 (2009:222-24)。</ref>。
 
国連機関の経済社会活動を調整する主要な機関は[[国際連合経済社会理事会|経済社会理事会]]であり、その諮問機関として、専門家から成る[[国際連合開発政策委員会|開発政策委員会]]が置かれている。事務局では、経済社会局が経済社会政策の分析・調整等を行っている。国連開発計画 (UNDP) は、開発途上国の開発を担当する機関であり、2005年に国連システムが開発援助活動に費やした金額は137億ドルであった<ref>国際連合広報局 (2009:225-26)。</ref>。
 
;持続可能な開発
:国連は開発によってもたらされる[[環境問題]]にも取り組んでいる。1972年にストックホルムで開かれた国連人間環境会議の終了後、国連環境計画 (UNEP) が設立された。UNEPは、世界の環境状況を評価し、1983年、総会は世界環境開発委員会を設置し、同委員会は1987年の報告の中で持続可能な開発という概念を提唱した。それを踏まえた総会の要請により、1992年、リオデジャネイロで環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)が開かれ、地球規模の行動計画として[[アジェンダ21]]が採択された。それを受けて、総会は、同年、持続可能な開発委員会を設置した。[[2002年]]には、アジェンダの実施状況を点検するため[[ヨハネスブルク]]で[[持続可能な開発に関する世界首脳会議]]が開かれ、持続可能な開発に関するヨハネスブルク宣言が採択された。国連機関の中では、UNEPのほか、世界気象機関 (WMO)、両機関が設立した[[気候変動に関する政府間パネル]] (IPCC) などが、[[地球温暖化]]、[[砂漠化]]、[[生物多様性]]、[[酸性雨]]、有害廃棄物・化学物質、海洋汚染、水資源、エネルギー、[[放射能]]など、数々の環境問題に携わっている<ref>国際連合広報局 (2009:316-349)。</ref>。
 
===人権===
人権の国際的な保障は、国連の主要な使命の一つである。国連憲章においては、前文で「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女……の同権とに関する信念」をうたっており、第1条でも「人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること」を国連の設立目的の一つとしている。この目的を達成するため、加盟国は国連と協力して「共同及び個別の行動をとることを誓約」するものとされた(55条c、56条)。また、経済社会理事会の補助機関として「人権の伸長に関する委員会」を設けることとされた(68条)。これは、[[ナチス]]ドイツをはじめとする[[全体主義]]国家による人権弾圧を踏まえて、人権の国際的な保障が必要と考えられたことなどによる<ref>中谷ほか (2006:215-16)。</ref>。
 
1946年、国連憲章68条に基づいて、経社理の補助機関として国連人権委員会が設立され、憲章の人権規定を具体化する作業に着手した。その結果、[[1948年]]12月10日、国連総会は、「すべての人民にとって達成すべき共通の基準」として、'''世界人権宣言'''を採択した。同宣言は30条から成り、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である」と述べた上(1条)、各種の[[自由権]]、[[社会権]]について規定している。ただし、総会決議であるため、国家に対する法的拘束力を持たないことを前提としていたことから、国連人権委員会は続いて条約化の作業を進めた<ref>中谷ほか (2006:216-17)。</ref>。
 
[[1966年]]、総会は、[[社会権規約]]、[[自由権規約]]、[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書|自由権規約の選択議定書]]という三つの条約から成る'''[[国際人権規約]]'''を採択した。社会権規約は1976年に発効し、現在160か国が締約国となっている。自由権規約も同じ年に発効し、現在167か国が締約国となっている<ref>{{Cite web|url=http://treaties.un.org/Pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=IV-3&chapter=4&lang=en|title=International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights|accessdate=2011-03-08 }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://treaties.un.org/Pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=IV-4&chapter=4&lang=en|title=Treaty Collection:International Covenant on Civil and Political Rights|publisher=United Nations|accessdate=2010-03-08 }}</ref>。両規約は、[[民族自決権]]、天然の富及び資源に対する権利について規定しており(両規約1条1項、2項)、個人の人権だけを規定した世界人権宣言と異なる。また、個人の人権についても、世界人権宣言より詳細な規定を設けており、人権の国際的保障の仕組みにおいて、最も重要な役割を果たしている<ref>中谷ほか (2006:217-19)。</ref>。1989年には、[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書|自由権規約の第2選択議定書]](死刑廃止条約)が採択され、73か国が締約国となっている<ref>{{Cite web|url=http://treaties.un.org/Pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=IV-12&chapter=4&lang=en|title=Treaty Collection:Second Optional Protocol to the International Covenant on Civil and Political Rights, aiming at the abolition of the death penalty|publisher=United nations|accessdate=2011-03-08}}</ref>。
 
そのほか、国連の枠組みの中で、個別的な人権の保障を目的として、以下のものを含め約80件の条約・宣言が採択されている<ref>国際連合広報局 (2009:358-)、中谷ほか (2006:219)。</ref>。
*[[障害者の権利に関する条約]](2006年)
 
[[1993年]]、[[ウィーン]]で開かれた[[世界人権会議]]が契機となって、長年提唱されていた'''[[国際連合人権高等弁務官事務所|国連人権高等弁務官]]'''の設置が実現した。その任務は、人権の促進・保護、助言的サービスの提供、人権侵害に対する緊急の対応、侵害予防など、広範にわたる<ref>中谷ほか (2006:224)。</ref>。人権高等弁務官事務所 (OHCHR) は、後述の人権理事会などの人権機関の事務局を務める<ref>国際連合広報局 (2009:366)。</ref>。
 
また、2006年、国連人権委員会を発展させる形で'''[[国際連合人権理事会|国連人権理事会]]'''が設置された。理事会は、総合的な政策ガイダンスを提供するとともに、人権問題に関する研究、新しい国際規範の発展、人権順守の監視などを行う<ref>国際連合広報局 (2009:363-65)。</ref>。
{|class="wikitable"
|- style="white-space:nowrap;"
! 年 !! 加盟国 !! 備考||国数
|-
! style="white-space:nowrap;" | 1945年<br/>(原加盟国)
|style="width:30em"|{{flag|アルゼンチン}}、{{flag|オーストラリア}}、{{flag|ベルギー}}、{{flag|ボリビア}}、{{flag|ブラジル}}、{{flag|ベラルーシ}}([[ファイル:Flag of Byelorussian SSR.svg|border|25x20px]] [[白ロシア・ソビエト社会主義共和国|白ロシアSSR]])、{{flag|カナダ}}、{{flag|チリ}}、'''{{flag|中華民国}}'''、{{flag|コロンビア}}、{{flag|コスタリカ}}、{{flag|キューバ}}、{{flag|チェコスロバキア}}(1993年解体消滅)、{{flag|デンマーク}}、{{flag|ドミニカ共和国}}、{{flag|エクアドル}}、{{flag|エジプト}}、{{flag|エルサルバドル}}、{{flag|エチオピア}}、'''{{flag|フランス}}'''、{{flag|ギリシャ}}、{{flag|グアテマラ}}、{{flag|ハイチ}}、{{flag|ホンジュラス}}、{{flag|インド}}、{{flag|イラク}}、{{flag|イラン}}、{{flag|レバノン}}、{{flag|リベリア}}、{{flag|ルクセンブルク}}、{{flag|メキシコ}}、{{flag|オランダ}}、{{flag|ニュージーランド}}、{{flag|ニカラグア}}、{{flag|ノルウェー}}、{{flag|パナマ}}、{{flag|パラグアイ}}、{{flag|ペルー}}、{{flag|フィリピン}}、{{flag|ポーランド}}、'''{{flag|ロシア}}'''('''{{flag|ソビエト連邦}}''')、{{flag|サウジアラビア}}、{{flagicon|ZAF}} [[南アフリカ共和国|南アフリカ]]、{{flag|シリア}}、{{flag|トルコ}}、{{flag|ウクライナ}}([[ファイル:Flag of Ukrainian SSR.svg|border|25x20px]] [[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナSSR]])、'''{{flag|イギリス}}'''、'''{{flag|アメリカ合衆国}}'''、{{flag|ウルグアイ}}、{{flag|ベネズエラ}}、{{flag|ユーゴスラビア}}(2003年消滅)||style="width:10em"|
|style="text-align:right"|51
|-
! 1946年
|{{flag|アフガニスタン}}、{{flag|アイスランド}}、{{flag|スウェーデン}}、{{flagicon|THA}} [[タイ王国|タイ]]||
|style="text-align:right"|55
|-
! 1947年
|{{flag|パキスタン}}、{{flag|イエメン}}|| 
|style="text-align:right"|57
|-
! 1948年
| style="white-space:nowrap;" |{{flag|ミャンマー}}(当時の呼称はビルマ)||
|style="text-align:right"|58
|-
! 1949年
|{{flag|イスラエル}}|| 
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|-
! 1950年
|{{flag|インドネシア}}|| 
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|-
! 1955年
|{{flag|アルバニア}}、{{flag|オーストリア}}、{{flag|ブルガリア}}、{{flag|カンボジア}}、{{flag|フィンランド}}、{{flag|ハンガリー}}、{{flag|アイルランド}}、{{flag|イタリア}}、{{flag|ヨルダン}}、{{flag|ラオス}}、{{flag|リビア}}、{{flag|ネパール}}、{{flag|ポルトガル}}、{{flag|ルーマニア}}、{{flag|スペイン}}、{{flag|スリランカ}}||
|style="text-align:right"|76
|-
! 1956年
|{{flag|日本}}、{{flag|モロッコ}}、{{flag|スーダン}}、{{flag|チュニジア}}||
|style="text-align:right"|80
|-
! 1957年
|{{flag|ガーナ}}、{{flag|マレーシア}}||
|style="text-align:right"|82
|-
! 1958年
|{{flag|ギニア}}||シリアとエジプト合併。
|style="text-align:right"|82
|-
! 1960年
|{{flag|ベナン}}、{{flag|ブルキナファソ}}、{{flag|カメルーン}}、{{flag|中央アフリカ}}、{{flag|チャド}}、{{flag|コンゴ共和国}}、{{flag|コートジボワール}}、{{flag|キプロス}}、{{flag|ガボン}}、{{flag|マダガスカル}}、{{flagicon|MLI}} [[マリ共和国|マリ]]、{{flag|ニジェール}}、{{flag|ナイジェリア}}、{{flag|セネガル}}、{{flag|ソマリア}}、{{flag|トーゴ}}、{{flag|コンゴ民主共和国}}||
|style="text-align:right"|99
|-
! 1961年
|{{flag|モーリタニア}}、{{flagicon|MNG}} [[モンゴル国|モンゴル]]、{{flag|シエラレオネ}}、{{flag|タンザニア}}||シリア再び独立国に。
|style="text-align:right"|104
|-
! 1962年
|{{flag|アルジェリア}}、{{flag|ブルンジ}}、{{flag|ジャマイカ}}、{{flag|ルワンダ}}、{{flag|トリニダード・トバゴ}}、{{flag|ウガンダ}}||
|style="text-align:right"|110
|-
! 1963年
|{{flag|ケニア}}、{{flag|クウェート}}||
|style="text-align:right"|112
|-
! 1964年
|{{flag|マラウイ}}、{{flag|マルタ}}、{{flag|ザンビア}}||
|style="text-align:right"|115
|-
! 1965年
|{{flag|ガンビア}}、{{flag|モルディブ}}、{{flag|シンガポール}}||インドネシア脱退。
|style="text-align:right"|117
|-
! 1966年
|{{flag|バルバドス}}、{{flag|ボツワナ}}、{{flag|ガイアナ}}、{{flag|レソト}}||インドネシア再加盟。
|style="text-align:right"|122
|-
! 1967年
|{{flag|南イエメン}}(1990年消滅)||
|style="text-align:right"|123
|-
! 1968年
|{{flag|赤道ギニア}}、{{flag|モーリシャス}}、{{flag|スワジランド}}||
|style="text-align:right"|126
|-
! 1970年
|{{flag|フィジー}}||
|style="text-align:right"|127
|-
! 1971年
|{{flag|バーレーン}}、{{flag|ブータン}}、{{flag|オマーン}}、{{flag|カタール}}、{{flag|アラブ首長国連邦}}、'''{{flag|中華人民共和国}}'''|| style="white-space:nowrap;" |'''中華民国'''脱退。
|style="text-align:right"|132
|-
! 1973年
|{{flag|バハマ}}、[[ファイル:Flag of East Germany.svg|border|25x20px]] [[ドイツ民主共和国|東ドイツ]](1990年消滅)、{{flag|ドイツ}}(当時は{{flag|西ドイツ}})||
|style="text-align:right"|135
|-
! 1974年
|{{flag|バングラデシュ}}、{{flag|グレナダ}}、{{flag|ギニアビサウ}}||
|style="text-align:right"|138
|-
! 1975年
|{{flag|カーボベルデ}}、{{flag|コモロ}}、{{flag|モザンビーク}}、{{flag|パプアニューギニア}}、{{flag|サントメ・プリンシペ}}、{{flag|スリナム}}||
|style="text-align:right"|144
|-
! 1976年
|{{flag|アンゴラ}}、{{flag|サモア}}、{{flag|セーシェル}}||
|style="text-align:right"|147
|-
! 1977年
|{{flag|ジブチ}}、{{flag|ベトナム}}||
|style="text-align:right"|149
|-
! 1978年
|{{flag|ドミニカ国}}、{{flag|ソロモン諸島}}||
|style="text-align:right"|151
|-
! 1979年
|{{flag|セントルシア}}||
|style="text-align:right"|152
|-
! 1980年
|{{flag|セントビンセント・グレナディーン諸島}}、{{flag|ジンバブエ}}||
|style="text-align:right"|154
|-
! 1981年
|{{flag|アンティグア・バーブーダ}}、{{flag|ベリーズ}}、{{flag|バヌアツ}}||
|style="text-align:right"|157
|-
! 1983年
|{{flag|セントクリストファー・ネイビス}}||
|style="text-align:right"|158
|-
! 1984年
|{{flag|ブルネイ}}||
|style="text-align:right"|159
|-
! 1990年
|{{flag|リヒテンシュタイン}}、{{flag|ナミビア}}||[[ドイツ再統一|東西ドイツ統一]]。イエメン統合。
|style="text-align:right"|159
|-
! 1991年
|{{flag|エストニア}}、{{flag|ラトビア}}、{{flag|リトアニア}}、{{flag|ミクロネシア連邦}}、{{flag|マーシャル諸島}}、{{flagicon|KOR}} [[大韓民国|韓国]]、{{flagicon|PRK}} [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]||'''ソ連'''は'''ロシア'''が、白ロシアSSRはベラルーシが、ウクライナSSRはウクライナが承継。
|style="text-align:right"|166
|-
! 1992年
|{{flag|アルメニア}}、{{flag|アゼルバイジャン}}、{{flag|ボスニア・ヘルツェゴビナ}}、{{flag|クロアチア}}、{{flag|ジョージア}}、{{flag|カザフスタン}}、{{flag|キルギス}}、{{flag|モルドバ}}、{{flag|サンマリノ}}、{{flag|スロベニア}}、{{flag|タジキスタン}}、{{flag|トルクメニスタン}}、{{flag|ウズベキスタン}}||
|style="text-align:right"|179
|-
! 1993年
|{{flag|アンドラ}}、{{flag|エリトリア}}、{{flag|モナコ}}、{{flag|チェコ}}、{{flag|スロバキア}}(「[[ビロード離婚]]」により国家分立で単一加盟)、{{flagicon|MKD}} [[マケドニア共和国|マケドニア]]||
|style="text-align:right"|184
|-
! 1994年
|{{flag|パラオ}}||
|style="text-align:right"|185
|-
! 1999年
|{{flag|キリバス}}、{{flag|ナウル}}、{{flag|トンガ}}||
|style="text-align:right"|188
|-
! 2000年
|{{flag|ツバル}}、{{flag|セルビア}}||
|style="text-align:right"|189
|-
! 2002年
|{{flag|スイス}}、{{flag|東ティモール}}||
|style="text-align:right"|191
|-
! 2006年
|{{flag|モンテネグロ}}||
|style="text-align:right"|192
|-
! 2011年
|{{flag|南スーダン}}||
|style="text-align:right"|193
;中華民国(台湾)
{{See also|台湾問題}}
:中国については、国連設立時には中華民国([[中国国民党|国民党]])政府が代表権を有していた。しかし、冷戦下の東西両陣営における微妙な政治バランスの下で、1971年10月25日に国連総会において「[[北京]]の中華人民共和国([[中国共産党|共産党]])政府が国連に対する唯一かつ正統な代表権を有する」との決議がされ、同国と対立する中華民国政府の代表は追放された(A/RES/2758 (XXVI)、[[アルバニア決議]])<ref>{{Cite web|url= http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/327/74/IMG/NR032774.pdf|title=2758 (XXVI). Restoration of the lawful rights of the People's Republic of China in the United Nations|publisher=United Nations|format=PDF|date=1971-10-25|accessdate=2011-07-15 }}</ref>。
:中華民国は1993年以降、国連に対し毎年加盟復活を求め続けており、2007年からは「中華民国」ではなく「[[台湾]]」の名称での新規加盟を求め、[[陳水扁]]総統が潘基文事務総長に申請書を提出したが、1971年の総会決議を理由として申請は受理されなかった。同国は、近年は各種の国連機関への加盟を優先する方針を見せている<ref>{{Cite web|url= http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6913020.stm|title= UN rejects Taiwan membership bid|publisher=BBC News|date=2007-07-24|accessdate=2011-07-15 }}</ref><ref>{{Cite web|url= http://www.earthtimes.org/articles/news/281906,taiwan-stops-seeking-un-membership-turns-to-un-organizations.html|title= Taiwan stops seeking UN membership, turns to UN organizations|publisher=Earth Times|date=2009-08-19|accessdate=2011-07-15 }}</ref>。
;バチカン市国
:[[バチカン市国]]は、伝統的に国家としての法主体性を認められているが<ref>山本 (1994:134-35)。</ref>、国際的な中立を維持するためとして[[国際連合総会オブザーバー|オブザーバー]]参加を選択している<ref>{{Cite web|url= http://www.holyseemission.org/about/history-of-diplomacy-of-the-holy-see.aspx|title= A Short History of the Holy See's Diplomacy|publisher=The Permanent Observer Mission of the Holy See to the Untied Nations|accessdate=2011-07-15 }}</ref>。
;マルタ騎士団
:[[マルタ騎士団]]は、国際法上特別の法主体性を認められ、104か国と外交関係を有する団体であるが、1994年8月24日、オブザーバー参加を認められた<ref>山本 (1994:136)。</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.un.int/orderofmalta/orderandun.html|title= The Order and the United Nations|publisher=Permanent Observer Mission of the Order of Malta to the United Nations in New York|accessdate=2011-07-15 }}</ref>。
;パレスチナ
:[[パレスチナ解放機構]] (PLO) は、[[1974年]]11月22日、国連総会決議でオブザーバー参加を認められた<ref>{{Cite web|url= http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/738/39/IMG/NR073839.pdf|title=3237 (XXIX). Observer status for the Palestine Liberation Organization|publisher=United Nations|format=PDF|date=1974-11-22|accessdate=2011-07-15 }}</ref>。イスラエルとの和平プロセスが行き詰まる中、2011年5月には[[アラブ連盟]]がパレスチナの国家([[パレスチナ国]])としての正式加盟を求める方針を決めた<ref>{{Cite web|url= http://www.cnn.co.jp/world/30002906.html|title=アラブ連盟、パレスチナ国家の国連加盟承認を要請へ|date=2011-05-30|accessdate=2011-07-15 }}</ref>。2012年11月29日には国連総会決議で国連における資格をオブザーバー組織からオブザーバー国家に格上げすることが承認された<ref>{{Cite news
|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012113002000265.html
|title=パレスチナ  「国家」格上げ決議採択  国連総会
|work=TOKYO Web
|newspaper=[[東京新聞]]
}}</ref>。
;クック諸島、ニウエ
:ニュージーランドとの[[自由連合 (国家間関係)|自由連合]]国である[[クック諸島]]と[[ニウエ]]は、国連には加盟していないが、専門機関であるWHOやユネスコに加盟しており、国連事務局の文書においては「国連非加盟国」として取り扱われている<ref>{{Cite web|url= http://www.un.org/Depts/Cartographic/map/profile/world00.pdf|title=The World Today|publisher=Department of Field Support, Cartographic Section, United Nations|format=PDF|accessdate=2011-07-15 }}</ref><ref>{{Cite web|url= http://untreaty.un.org/cod/repertory/art102/english/rep_supp8_vol6-art102_e_advance.pdf|title= Repertory of Practice of United Nations Organs - Supplement No. 8|publisher= United Nations|format= PDF|accessdate= 2011-07-15|archiveurl= https://web.archive.org/web/20120403031600/http://untreaty.un.org/cod/repertory/art102/english/rep_supp8_vol6-art102_e_advance.pdf|archivedate= 2012年4月3日|deadlinkdate= 2017年9月}}</ref>。
;[[事実上独立した地域一覧|事実上独立した地域]]
:[[コソボ]]は、2008年2月にセルビアからの独立を宣言したが、独立の経緯から常任理事国のロシアが強く国連加盟に反対しているため、加盟の目処は立っていない。[[ソマリランド共和国]]や[[北キプロス・トルコ共和国]]などは、現在のところ国家承認をしている国が皆無または極めて少ないことから加盟には至っておらず、国家としての存在自体も認められていない。[[サハラ・アラブ民主共和国]]は、[[アフリカ連合]]諸国や[[中南米]]諸国を中心に多くの国が国家承認をしているが、正式加盟はもちろんオブザーバー参加も認められていない。
===敵国条項の問題===
{{main|敵国条項}}
国際連合は元々、第二次世界大戦の連合国が母体となってスタートしたものである。そのため[[国連憲章]]の53条には、第二次世界大戦で枢軸国側に立った国(特にドイツと日本)が侵略行動を行った場合には、安全保障理事会の議決に基づかずに強制行動がとれるという規定があり、また107条では旧敵国に対する行動については国連憲章に拘束されないという規定がある。この2条と敵国という語を含む77条については、1995年には[[国際連合総会決議]]50/52において敵国条項はすでに「死文化({{lang-en|become obsolete}})」しているとされ、憲章改正の際には削除するという内容を含む決議案が三か国のみ棄権という圧倒的な賛成多数で採択されている<ref>[http://www.un.org/documents/ga/res/50/a50r052.htm A/RES/50/52. Report of the Special Committee on the Charter of the United Nations and on the Strengthening of the Role of the Organization] - 国際連合総会決議50/52(英語)</ref>。また2005年9月15日には国連総会特別首脳会合で採択された「成果文書」には「敵国条項の削除を決意する」という決議が採択されている。ただし、国連憲章改正には総会での3分の2以上の賛成および、常任理事国すべてをふくむ安全保障理事会3分の2以上の賛成、そして3分の2以上の加盟国による批准措置が必要であり、また常任理事国の追加問題なども絡んでいるために削除には至っていない。
 
===拒否権の問題===
また、2008年には東京にある国連広報センター(UNIC)が不正経理をしていたとして国連から内部監査を受けていたことが明らかになった。しかし、日本は国連大学の建物を無償で提供しているが、その建物に入っているUNIC東京の家賃を、日本政府が国民の税金を使い国連大学に払っていることが判明した。<ref>http://www.news.janjan.jp/government/0901/0901160522/1.php</ref>
 
=== 国連による顕彰 ===
国際連合は1968年に[[国連人権賞]]を制定している。またそれ以外にも国連が制定した賞、顕彰は多く存在する。一例として[[国連平和賞]](United Nations Peace Medal)は国連によって制定された賞であるが、類似した名称や訳でも国連が無関与の賞も存在する<ref>[[国連世界平和賞]]は無関係の機関が創設した賞</ref>。
 
== 発行物 ==
*日本における発行物
**1957年3月8日、国際連合加盟記念の切手が1種(10円)が発行された。
*{{Cite book|和書|author=[[山本草二]]|title=国際法|publisher=有斐閣|edition=新版|year=1994|id=ISBN 978-4641045934 }}
*{{Cite book|和書|author=[[吉田康彦]]|title=国連改革――「幻想」と「否定論」を超えて|publisher=集英社|series=集英社新書|year=2003|id=ISBN 4-08-720224-0 }}
 
 
==関連項目==
77,182

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