「終南浄寿」の版間の差分

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|説明文=
|宗派=[[黄檗宗|臨済宗黄檗派]]
|寺院=[[甘南備寺]]、[[京都市#地域名|洛北]][[神光院]]、[[萬福寺]][[聖林院]]
|師=[[南嶺元勲]]
|弟子=
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[[通称|俗称]]は小島氏。[[諱|法諱]]は浄寿、[[字]]を天年、終南は[[号 (称号)|法号]]で、他に介石と号した。 [[伊勢国|伊勢]][[松阪市|松阪]]の人。
 
== 略伝 ==
小島息安の次男として生まれる。[[伊藤華岡]]の実弟で、この兄より[[書法]]を受けた。わずか9歳にて[[山城国|山代]][[甘南備寺]]で得度し、[[享保]]14年(1729年)に[[南嶺元勲]]の法嗣となる。のちに[[京都市#地域名|洛北]][[神光院]]や[[萬福寺]][[聖林院]]の住持となる。[[悟心元明]]とは親友でともに[[江戸]]に遊学し、[[漢詩|詩]][[漢文|文]]に通じ書名を馳せた。[[京都市#地域名|洛東]]岡崎では介石庵を結び[[大典顕常]]・[[大潮元晧]]・[[木村蒹葭堂]]・[[高芙蓉]]ら[[文人]]と交わった。
 
[[享年]]57。萬福寺万松崗に墓所がある。
 
[[印譜]]『巽斎捐因』や『終南悟心印譜』にその刻印が掲載されている。
 
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*[[中田勇次郎]]『日本の篆刻』1966年編 [[二玄社]]
* [[三村竹清]]「伊勢と篆刻家」『三村竹清集5』[[青裳堂書店|青裳堂]]<日本書誌学体系23>
 
==関連項目==
*[[日本の篆刻家一覧]]
 
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