「土浦全国花火競技大会」の版間の差分

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|英文表記=
|画像=Tsuchiura Fireworks 2014.jpg
|画像説明=第83回大会(2014年)<br />スターマイン競技より
|通称=
|正式名称=土浦全国花火競技大会
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第二次世界大戦による中断があり[[1946年]]に再開したが、住職の財産が無くなると共に中止が検討された。その後は日本煙火工業会(現在の日本煙火協会)の会長を務めた北島義一が出品者確保や入賞者に贈る賞の設立など大会の運営に尽力し、日本三大花火の1つに数えられるまでとなった。[[1959年]]には初めて「速射連発の部」を設け、それまで仕掛け花火の一部として見なされていた速射連発花火が独立した分野として扱われるきっかけを作った<ref>土浦全国花火競技大会実行委員会事務局"[http://tsuchiura-hanabi.jp/chishiki/rekishi/ 歴史|土浦全国花火競技大会]"([[2012年]][[8月9日]]閲覧)</ref>。
 
[[1971年]]からは現在の桜川にかかる学園大橋付近の開催となり<ref>[http://www.tsuchiura-hanabi.jp/chishiki/rekishi/index.html 花火豆知識 歴史より]</ref>、開催も原則10月第1土曜日となった。[[1988年]]には[[昭和天皇]]の病状悪化に伴い「自粛」した<ref>茨城新聞  1988年9月25日付け</ref>。
 
[[2015年]]は土浦市役所新庁舎開庁を記念して、打ち上げ総数を25,000発へと増やした。[[2016年]]からは通常の20,000発に戻った<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161002-00000020-san-l08 夜空彩る2万発 土浦花火大会](産経新聞 2016年10月2日(日)7時55分配信)</ref>。