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永暦帝が[[新寧県|新寧]]に巡行した際、'''昭聖仁壽皇太后'''の[[尊号]]を受けた。永暦9年(1655年)6月に再び'''慈惠'''の号を賜り、全体で'''昭聖慈惠仁壽皇太后'''と称した。
[[1659年]]に永暦帝に従って[[タウングー王朝|ビルマ]]に亡命するが、[[1662年]]に[[清]]の[[呉三桂]]の侵攻を受けたことでビルマ王[[ピンダレ]]により清軍に引き渡された。永暦帝が[[昆明市|昆明]]で殺害されたことを知ると、「逆賊呉三桂よ
北京へ送られる途中で永暦帝の皇后[[孝剛匡皇后]]と互いの喉を絞めて死のうとしたが、昭聖太后だけが
康熙8年([[1669年]])、91歳の高齢で死去した。
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