「ムシチュイ2世」の版間の差分

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[[File:Mestwin II, Duke of Pomerania.PNG|thumb|160px|right|ムシチュイ2世]]
[[ファイル:Seal of Msciwoj II of Pomerania.gif|thumb|ムシチュイ2世の[[印璽]]]]
'''ムシチュイ2世'''([[ポーランド語]]:Mściwój II / Mszczuj II;[[ドイツ語]]:Mestwin II.、1220年頃 - 1294年)は、[[ポモジェ]]東部の[[シフィエチェ]](シュヴェッツ)公(在位1266年 - 1294年)。[[グダニスク]]公[[シフィエントペウク2世]]の息子として生まれ、父の死とともにシフィエチェ公となり、1271年からはグダニスク公を兼ねた。叔父のルビシェヴォ公[[サンボル2世]]の死後、ムシチュイ2世は[[ポメレリア]]地方の全域を支配下に収めることができた。
 
== 生涯 ==
1269年、[[アルンスヴァルデの和約]]により、[[ブランデンブルク辺境伯]]がポメレリアのムシチュイの領国に対する宗主権を獲得した。ムシチュイの弟[[ヴァルチスワフ2世]]はグダニスク公を務めていたが、兄とその同盟者であるブランデンブルク辺境伯たちによって領国を追われた。ヴァルチスワフは[[ドイツ騎士団]]国家の許に逃れ、1271年に亡くなった。生き残ったムシチュイの男系親族はポメレリア南部を支配する叔父サンボル2世のみだったが、同様にムシチュイによって領国を追われ、騎士団国家に身を寄せたのち、1276年に死んだ。こうして、ムシチュイ2世はポメレリアの単独支配者に上りつめた。