「関東大震災」の版間の差分

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東京市内の建造物の被害としては、[[凌雲閣]](浅草十二階)が大破<ref>[https://www.kajima.co.jp/tech/seismic/higai/030608.html 小破・中破・大破とは] 鹿島建設 日本建築学会「1978年宮城県沖地震被害調査報告」</ref><ref>岡田成幸、高井伸雄、[https://doi.org/10.3130/aijs.64.65_5 地震被害調査のための建物分類と破壊パターン] 日本建築学会構造系論文集 64巻 (1999) 524号 p.65-72, {{doi|10.3130/aijs.64.65_5}}</ref><ref>高井伸雄、岡田成幸、[https://doi.org/10.3130/aijs.66.67_4 地震被害調査のための鉄筋コンクリート造建物の破壊パターン分類] 日本建築学会構造系論文集 66巻 (2001) 549号 p.67-74, {{doi|10.3130/aijs.66.67_4}}</ref>、建設中だった[[丸の内]]の[[内外ビルディング]]が崩壊し作業員300余名が圧死した。また[[大蔵省]]・[[文部省]]・[[内務省 (日本)|内務省]]・[[外務省]]・[[警視庁 (内務省)|警視庁]]など官公庁の建物や、[[帝国劇場]]や[[三越|日本橋三越本店]]など、文化施設や商業施設の多くを焼失した。[[神田神保町]]や[[東京大学総合図書館|東京帝国大学図書館]]、[[松廼舎文庫]]、[[大倉集古館]]も類焼し、多くの貴重な書籍群や文化財が失われた。
 
震源に近かった[[横浜市]]では官公庁や[[ホテルニューグランド|グランドホテル]]、[[オリエンタルパレスホテル]](現存しない)などが石造・煉瓦作りの洋館であったことから一瞬にして倒壊し、内部にいた者は逃げる間もなく圧死した。さらに火災によって、外国領事館の全てを焼失、工場・会社事務所も90%近くを焼失した。千葉県[[房総]]地域の被害も激しく、特に[[館山市|北条町]]では[[古川銀行]]・[[房州銀行]](どちらも現在の[[千葉銀行]]の前身の一つ)が辛うじて残った以外は郡役所・停車場等を含む全ての建物が全壊。測候所と旅館が亀裂の中に陥没するなど、壊滅的被害を出した。
 
なお地震後も[[気象観測]]を続けた中央気象台(現在の[[気象庁]]、位置は現在とほぼ同じで若干濠寄り)では、1日21時頃から異常な高温となり、翌2日未明には最高気温46.4度を観測している<ref>[[藤原咲平]]編『関東大震災調査報告(気象篇)』中央気象台刊行</ref>。この頃、気象台には大規模な火災が次第に迫り、ついに気象台の本館にも引火して焼失し多くの地震記録を失った<ref name="jgeography.108.4_440">[http://dx.doi.org/10.5026/jgeography.108.4_440 武村雅之:1923年関東地震の本震直後の2つの大規模余震 強震動と震源位置] 地學雜誌 Vol.108 (1999) No.4 P440-457</ref>。気象記録としては無効とされ抹消されているものの、火災の激しさを示すエピソードである。