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『集史』フウシン部族誌などによると、ボロクルはチンギス・カンに仕えた当初、チンギス・カンの侍衛集団である[[ケシク]]の一員として、ボケウル Bökeül とバウルチ Bauruči すなわち大膳職に任じられた。その後ケシクの長であるケシクトゥとなり、同時に万戸長にもなったという。さらにその後、右翼の指揮官となったが、『集史』チンギス・カン紀のチンギス・カン旗下の諸軍の編成リスト中、ボロクルは右翼軍の第二位に列せられており、これは右翼軍総司令官[[ボオルチュ]]に準ずる副司令として着任していたと考えられている。
 
[[1206年]]に[[オノン川]]河源で開かれた[[クリルタイ]]によってモンゴル帝国が成立した時に88名の[[千戸長]]の1人に任じられ、[[タルカン]]の特権が与えられた。1217年に帝国に叛旗を翻した[[トマト部]]討伐に向かった際に敵の斥に捕えられて殺された。
 
『元史』巻119に列伝がある。