「フランスの歴史」の版間の差分

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== カペー朝 ==
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[[ファイル:HuguesKing capetHugh Capet.jpg|thumb|140px|right|ユーグ・カペー]]
カロリング家の断絶後、987年にパリ伯であった[[ロベール家]]の[[ユーグ・カペー]]がカペー朝を創始した。ノルマン人の討伐で活躍したユーグ・カペーだったが、その王権は東フランク王国(ドイツ王国)などと比べても脆弱で、パリ周辺のみにしかその王権は及ばなかった。[[13世紀]]ころより徐々に王権の強化が進み、イングランド王[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]や[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]と争った[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]は、[[プランタジネット朝]](イングランド王家)の領土であったノルマンディーやアンジューを奪った。また、この頃フランス南部で広まっていた[[アルビジョワ派]]が異端とされ、[[アルビジョワ十字軍]]が組織された。この異端撲滅闘争は仏王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の時代までに完了し、結果としてフランス南部にまでフランス王権が伸張することになった。このように、総じて13世紀におけるフランス王権の強化は、ローマ教皇との連携を前提として進められたものであった。しかし、[[第6回十字軍]]・[[第7回十字軍]]を行ったことはフランス財政に重い負担を与えることになった。