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== 歴史 ==
{{main|ベルギーの歴史}}
1986年、イギリスとの間に初の国際光[[海底ケーブル]]が敷設された。現在、首都[[ブリュッセル]]は[[欧州委員会]]などの欧州連合の主要な機関が置かれており、欧州連合の「首都」に当たる性格を帯びている。ブリュッセルは[[2014年]]、ビジネス、人材、文化、政治、識字率などを総合評価した[[世界都市#世界都市指数|世界都市ランキング]]において、特に「政治的関与」が高く評価され、世界11位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)</ref>。
 
=== 言語の壁 ===
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新興のベルギー王家は、イギリスやフランスと関係が深かった。レオポルド1世の後妻にはフランス国王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フイリップ]]の王女[[ルイーズ=マリー・ドルレアン|ルイーズ・マリー]]が迎えられ、その間の息子[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]が王位を継いだ(在位:1865年 - 1909年)。彼とイギリス女王ヴィクトリア、その王配アルバートとは従姉弟の関係にあたる。次代の国王[[アルベール1世 (ベルギー王)|アルベール1世]](在位:1909年 - 1934年)の治世で、ベルギーは[[第一次世界大戦]]に遭遇したが、その際、アルベール1世がドイツ軍に徹底抗戦したのはこのような関係が一因であった<ref>参照『MSN百科事典エンカルタ』フランス革命史、ベルギー史、第一次世界大戦史など </ref>。
 
つまりベルギーの経済関係はカトリックであったが、しかし[[閨閥|王族関係]]がプロテスタントでねじれていた。
 
=== 独立以降 ===
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1960年に[[コンゴ民主共和国]]がベルギーから独立したが、独立に際してのベルギーの対応は[[コンゴ動乱]]や[[モブツ・セセ・セコ|モブツ]]体制の確立など、コンゴの不安定化を大きく助長した。1958年4月にベルギー領コンゴの発行した1500万ドルの[[外債]]は、幹事の[[C・ダグラス・ディロン|ディロン・リード]](150)を筆頭に、[[ラザード]](60)、[[ゴールドマン・サックス]](60)、[[メリル・リンチ]](60)など40社が引受けた(括弧内は単位万ドルの引受額)。
 
1986年、イギリスとの間に初の国際光[[海底ケーブル]]が敷設された。現在、首都[[ブリュッセル]]は[[欧州委員会]]などの欧州連合の主要な機関が置かれており、欧州連合の「首都」に当たる性格を帯びている。ブリュッセルは[[2014年]]、ビジネス、人材、文化、政治、識字率などを総合評価した[[世界都市#世界都市指数|世界都市ランキング]]において、特に「政治的関与」が高く評価され、世界11位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)</ref>。
 
== 政治 ==