「段芝貴」の版間の差分

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[[1914年]](民国3年)、彰武上将軍に封じられ、督理湖北軍務(いわゆる湖北将軍)に就任した。[[1915年]](民国4年)8月、鎮安上将軍に遷り、督理[[奉天省 (中華民国)|奉天]]軍務(奉天将軍)兼巡按使に就任した。袁世凱の皇帝即位を支持し、12月、一等公爵に封じられた。しかし、東北に地盤を広げようとする[[張作霖]]らから圧力をかけられ、段は[[1916年]](民国5年)4月に、奉天将軍等を辞任した。
 
6月に袁世凱が死去すると、段芝貴は[[段祺瑞]]率いる[[安徽派]]に加わった。[[1917年]](民国6年)7月の[[張勲復辟]]の際には、段芝貴は討逆軍東路司令に任命されて張勲を撃破し、輔威上将軍に封じられた。[[1918年]](民国7年)1月、陸軍総長に就任した。翌年1月、京畿衛司令に異動した。
 
[[1920年]](民国9年)7月の[[安直戦争]]では、定国軍西路総司令として[[直隷派]]と戦ったが敗北する。指名手配を受けた段芝貴は、天津の租界に逃げ込み、完全に政界・軍界から引退した。
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