「尾花高夫」の版間の差分

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[[松岡弘]]の引退後は、チームのエースとして活躍。[[関根潤三]]監督就任2年目の{{by|1988年}}には[[開幕投手]]として[[読売ジャイアンツ|巨人]]との開幕戦に先発し、[[東京ドーム]]でのプロ野球公式戦[[勝利投手]]第一号となった。{{by|1989年}}には通算100勝を達成。{{by|1991年}}限りで現役を引退。[[先発投手]]としての起用が主だったが、制球力に優れていたことから、[[リリーフ]]として活躍することも多かった。
 
一方でチームが低迷する時期と被った事が多く、選手の駒不足から年間投球回数で200回を越えたのは6度、二桁敗戦を記録したのも6度、1986年から1988年三年連続リーグ最多敗戦を記録。これは1956年から1959年に大洋の[[秋山登]]が記録した四年連続リーグ最多敗戦投手以来の記録で右投手では尾花以降これを越えた選手は現れていない(左投手では2014年から2016年にかけて阪神の[[能見篤史]]がタイ記録となった)。特に、1982年は12勝16敗、1988年は9勝16敗であったが、いずれも防御率が2点台であり、打線の[[援護率]]が非常に低かった。
 
[[1992年]]〜[[1993年]]は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[ニッポン放送]]で、[[1994年]]は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]でそれぞれ[[野球解説者]]を務めた。