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{{出典の明記|date=2018年8月9日 (木) 22:51 (UTC)}}
[[File:Taki-gyo 8118084.jpg|thumb|280px|right|冬季の[[滝行]]はかなりの苦痛を伴う]]
'''苦行'''(くぎょう)とは、身体を痛めつける事によって自らの精神を高めようとする宗教的行為。[[禁欲]]とも密接に関係し主立った宗教([[仏教]]、[[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[神道]]など)には共通して[[禁欲主義]]的な傾向が見られる。
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それこそが、観る眼を生じ、英知を得、證智をもち、[[定]](サマーディ)、[[涅槃]]に至る道である。
| [[ケン度 (パーリ律)|大犍度]], {{SLTP|38 Mahakkhandhakaṃ}} }}
 
しかしながら、自らの中の[[仏性]]を目覚めさせるという、仏道の姿勢から、苦行はその手段として、完全に否定され失うという事は無かった。後[[禅宗]]の只管打坐(しかんたざ)において、それは極まる。
 
== キリスト教における苦行 ==
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[[脳科学]]によれば[[神経伝達物質]]に[[エンドルフィン]]というのがあり、これは一定以上の[[苦痛]]を受けると、それを緩和するために[[幸福感]]をもたらす作用があるといわれる。この説に従うと宗教者が苦行の果てに神や仏を見出す事に[[生物学]]的説明がつく。<ref>立花隆『臨死体験』 文藝春秋 </ref>
 
== 脚 ==
{{reflist}}
<references />
 
== 関連項目 ==