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南樺太についての文書の変更
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* [[1854年]](安政元年) - [[日露和親条約]]により、日露国境を樺太島上で定めず是までの仕来りによることを決定した。
* [[1855年]](安政2年) - 樺太を含む蝦夷地は再び公議御料(幕府直轄領)となり、[[秋田藩]]が白主と久春古丹に[[陣屋]]を築き警固を行った。
* [[1856年]](安政3年) - 幕府、樺太東岸の[[中知床岬]]([[長浜郡]][[知床村|外知床村]])以北および西岸のノタサン([[野田郡]][[野田町 (樺太)|野田町]])以北を樺太直捌場所とした。箱館奉行所の支配組頭・[[向山源太夫]]が5~8月に樺太の調査のため訪れている
* [[1857年]](安政4年)
**越後出身の蝦夷地御用方・[[松川弁之助]]が東岸のオチョポカ([[富内郡]][[富内村]]落帆)に漁場(ぎょば)を開拓する。