「エカチェリーナ1世 (ロシア皇帝)」の版間の差分

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== 生涯 ==
エカチェリーナはマルタという名の[[リヴォニア]]の農民の娘<ref>{{Cite book|和書 |author = [[中野京子]] |year = 2014 |title = 名画で読み解くロマノフ家12の物語 |publisher = [[光文社]] |page = 65 |isbn = 978-4-334-03811-3}}</ref>で、[[バルト・ドイツ人]][[牧師]]の家に引き取られて家族同様に育てられ、[[ドイツ語]]を学んだ。[[1701年]]に[[スウェーデン]]の[[竜騎兵]]と結婚したが、当時はロシアと[[スウェーデン]]との[[大北方戦争]]が続いており、リトアニアが戦場になると、彼女はロシア軍が{{仮リンク|アルークスネ|label=マリーエンブルク(リヴォニア)|de|Alūksne}}を占領した際に捕虜となり、ロシア人将軍[[ボリス・シェレメーテフ]]の家に連れてこられた。しかし立場は召使だったのか妾だったのか判然としない。女奴隷から女帝に上ったと言われるのはこの出自のためであるが、上記のように、元々は無学卑賤の身分というわけではない。
 
捕らえられてからは[[正教会|正教]]に改宗し、名もエカチェリーナ・アレクセーエヴナと改めている。父称アレクセーエヴナはピョートル1世の長男で[[代父]]の[[アレクセイ・ペトロヴィチ|アレクセイ]]によるとする説がある。その後、将軍[[アレクサンドル・メーンシコフ]]の家に引き取られ(ここでも使用人か妾かはっきりしない)、メーンシコフからピョートル1世に献上された。
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*[[アンナ・ペトロヴナ]](1708年 - 1728年) [[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公]][[カール・フリードリヒ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)|カール・フリードリヒ]]と結婚し、一人息子が1763年([[ユリウス暦]]1762年)に[[ピョートル3世]]となった。
*[[エリザヴェータ (ロシア皇帝)|エリザヴェータ・ペトロヴナ]](1709年 - 1763年/ユリウス暦1762年) 1741年にロシア皇帝となった。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==