削除された内容 追加された内容
-redirect。-otheruses(冒頭説明で十分)。
製餡機の発明について追記
6行目:
 
== 歴史 ==
餡には[[肉]]や[[野菜]]を用いる[[塩味]]系統と[[豆]]や[[芋]]などを用いる[[甘味]]系統<ref name="nihon_p73">川上行蔵監修『日本料理由来事典(上)』同朋舎出版 p.73 1990年</ref>があるも、豆や芋を用いる餡も[[砂糖]]が普及するまでは、塩味<ref name="nihon_p73"/>のいわゆる塩餡であった。
 
「餡」はもともと詰め物の意であり<ref name="syoku_p272">『食料の百科事典』丸善 p.272 2001年</ref>、『[[字彙]]』では[[餅]]の中の肉餡を指すとしている<ref name="nihon_p73"/>。日本へは[[聖徳太子]]の時代に中国から伝来したとされ<ref name="syoku_p272"/>、中国菓子で用いられる肉餡がその原形となっていると考えられている<ref name="syoku_p272"/>。[[アズキ|小豆]]を用いた小豆餡が開発されたのは[[鎌倉時代]]であるとされる<ref name="syoku_p272"/>。当初は塩餡であったが、[[安土桃山時代]]になって甘い餡が用いられるようになった<ref name="syoku_p272"/>とも、[[砂糖]]が用いられるようになったのは[[江戸時代]]中期からで高貴な身分に限られていた<ref name="kashi_p198">小林彰夫・村田忠彦編『菓子の事典』朝倉書店 p.198 2000年</ref>ともわれる。
 
豆餡は、豆を水に浸して吸水させてから煮て、皮を剥き、それを潰して作る。[[明治時代]]、[[興津]](現在の[[静岡市]][[清水区]])出身の北川勇作が煮炊釜や豆の皮剥き機、豆皮分離器を発明。同郷人の内藤幾太郎とともに、現在に至る製餡機を使った製餡産業の原点を築いた。興津地区北部の承元寺町にある[[八幡宮|八幡神社]]には「製餡発祥の地」であることを記した石碑が建てられている<ref>『日本経済新聞』夕刊2018年8月9日(くらしナビ面)「【食紀行】静岡市興津 あん菓子根付く/甘さ控えめ あん配よく」解説記事「[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33983210Z00C18A8KNTP00/ マメ知識◇製あん機械発祥の地]」(2018年8月11日閲覧)。</ref>。
 
「餡」は[[漢音]]では「カン」、[[唐音|宋音]]では「アン」である<ref name="nihon_p73"/>。『[[和漢三才図会]]』([[1713年]])では「カン」との発音を示した上で俗に「アン」というとしている<ref name="nihon_p73"/>。
 
== 甘味の餡 ==
豆餡・芋餡・栗餡などに代表される甘味餡は、主に菓子類に用いられる[[アズキ|小豆]]などを甘したて作る具材である。主に菓子類、特に[[和菓子]]で多く用いられる。豆類では小豆、[[ソラマメ]]、[[インゲン]]、[[エンドウ]]など[[デンプン]]含有量が多いもの<ref name="maruzen_p62">『丸善食品総合辞典』丸善 p.62 1998年</ref>が用いら使われ、小豆を煮詰めた小豆餡<ref>豆沙餡(とうさあん)とも別称される。</ref>が代表的である。芋餡には[[サツマイモ]](特に[[鳴門金時]]芋や[[紫芋]]、安納芋)などを用いる<ref name="maruzen_p62"/>。そのほか、[[クリ属|栗]]餡、[[カボチャ|南瓜]]餡、[[ハス#種子|蓮の実]]餡、黒[[ゴマ|胡麻]]餡・白胡麻餡、[[ピーナッツバター|落花生餡]]、[[クルミ|胡桃]]餡、[[トウガン|冬瓜]]餡、[[ナツメ|棗]]餡、[[バナナ]]餡などがある。
 
餡と同様に菓子に包み込まれる具でも、[[ジャム]]、[[生クリーム]]や[[カスタードクリーム]]など[[クリーム (食品)|クリーム]]類、[[生チョコレート]]や[[チョコスプレッド]]など[[チョコレート]]類、[[ピーナッツバター]]など、西洋風味も餡と呼称する場合がある。