「盧武鉉」の版間の差分

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=== 政界進出 ===
1988年に[[統一民主党]](当時)の[[金泳三]]に抜擢され、同年4月に行なわれた[[第13代総選挙 (大韓民国)|13代国会議員選挙]]に[[釜山市]][[東区_(釜山広域市)|東区]]選挙区から出馬して当選し、政界入りした<ref name="dare"></ref>。国会の労働委員会では、[[李海チャン|李海{{lang|ko|瓚}}]]や[[李相洙]]とともに「労働委員会三銃士」と呼ばれ、活発な活動を行った。同年、[[第五共和国 (大韓民国)|第五共和国]]の不正調査特別委員会の委員となり、第五共和国聴聞会における[[全斗煥]]時代の不正追及の場面がテレビ中継されたことがきっかけで、国民的スターになった。
 
1990年に民主党の金泳三派が[[盧泰愚]]の[[民主正義党]]、[[金鍾泌]]の[[新民主共和党]]と合党し(三党合同)、大与党・[[民主自由党 (韓国)|民主自由党]]を結成した。盧武鉉はこれを野合として合同への参加を拒み、他の議員とともに1990年6月に改めて結成された[[民主党 (韓国 1990-1991)|民主党]]に加わり[[野党]]に残った。盧武鉉は[[金大中]]率いる[[平和民主党|新民主連合党]]との野党統合運動を推進し、1991年9月に統合野党としての新・[[民主党 (韓国 1991-1995)|民主党]]を発足させた。