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== 概要 ==
 
アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」([[ドイツ語]]:'''Kaiserdom''')として言及され<ref>{{Cite web |url = https://tabizine.jp/2016/10/26/99632/ |title = 一生に一度は行ってみたい!ヨーロッパの美しい教会7選 |publisher = TABIZINE |accessdate = 2018-08-13 }}</ref>、この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のものである。[[786年]]に[[カール大帝]]がアーヘンの宮殿教会の建設を始めた。[[814年]]にカール大帝が死ぬと彼は自身の大聖堂に埋葬され、彼の骨はいまも特別の神殿に保存されている。
大聖堂は、一千年以上の時を経て、現在の装いを調えた。 アーヘン大聖堂の中心は宮殿教会である。それは後世の増築部分と比較すると驚くほど小さいが、建設当時は、それは[[アルプス山脈|アルプス]]以北では最大のドーム建築であった。
[[古典主義建築|古典主義様式]]、[[ビザンティン建築|ビザンティン様式]]そして[[ゲルマン建築|ゲルマン様式]]-[[フランク王国様式]]の要素を備えた心を奪う建築は、きわめて重要な記念碑的建造物の真髄である。アーヘン大聖堂は、[[936年]]から[[1531年]]にかけての約600年間に[[神聖ローマ帝国]]の30人の[[皇帝]]たちの[[戴冠式]]が執り行われた場所でもある。
アーヘン大聖堂の宝物館は後期[[古典主義]]、[[カロリング朝]]時代、[[神聖ローマ帝国|オットー朝]]と[[ホーエンシュタウフェン朝|シュタウヘン朝]]の時代の傑作を展示しており、それらの中には「ロタールの十字架」や「カール大帝の胸像」や「[[ペルセフォネ]]の石棺」のようなユニークな展示もいくつかある。アーヘンの大聖堂宝物館は北部ヨーロッパにおける最も重要な教会の宝物館の一つとして言及される。
 
[[1000年]]に、[[オットー3世 (神聖ローマ皇帝)|オットー3世]]はカール大帝の霊安所を開帳した。遺体は保存にかんして特筆すべき状態のもとにあることが判明し、大理石の玉座にすわり、皇帝のローブをまとい、頭には帝冠を戴き、膝には福音書が開かれてまま置かれ、手には王笏があったといわれている。 オットーを描いた大きな絵と彼の、亡き皇帝への、高貴なる眼差しはアーヘン市庁の大広間の壁画に描かれている。
オットーを描いた大きな絵と彼の、亡き皇帝への、高貴なる眼差しはアーヘン市庁の大広間の壁画に描かれている。
 
[[1165年]]、[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]](バルバロッサ)は再び、霊安所を開帳し、中に安置してあるものをパリアンの大理石製の彫刻を施した[[石棺]]におさめた。 おさめたものの中には[[アウグストゥス]]が火葬されたときの遺骨もあったという。 アウグストゥスの遺骨は[[1215年]]までこの中におさめられ、[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]の時に、金銀の小箱に納骨された。
 
== 登録基準 ==
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==関連項目 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
 
== 外部リンク ==
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