「ラムセス5世」の版間の差分

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== 概要 ==
ラムセス4世とその王妃テントオペトの息子であった。
その治世中、[[テーベ]][[カルナック神殿]]を中心とするアメンの神官団の台頭が著しかった。彼らは祖父[[ラムセス3世]]の時代から徐々に権力を拡大していたが、ラムセス5世の頃ついに国政に介入するまでに至った。寄進によって多くの土地が神殿の所領とされ、[[ファイユーム]]に至る各地方の財政さえも管轄下に置かれた。[[エレファンティネ島]]で発見されたトリノ1887パピルスには神官が関与した金融スキャンダルについて記録されている。
 
また、治世1年目には暴動が起こり、デイル・エル・メディーナの職人たちは敵を恐れて王墓の建設を中断した。数日後には敵がテーベに侵入し、町が大きな損害を受けた。襲撃者の正体はエジプトに侵入したリビア人の集団と考えられている。