「東京モノレール羽田空港線」の版間の差分
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[[1964年]]秋の[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]の開催で、日本国内外からの羽田空港利用客の都心へのアクセスの改善を目的として建設され、[[10月10日]]の東京オリンピック開会式前の[[9月17日]]に開業した<ref name="asahi-np-2015-2-14">上沢博之(2015年2月14日). “東京五輪物語 浜松町-羽田モノレール開通 空港まで15分、突貫工事”. [[朝日新聞]](朝日新聞社)</ref>。
この路線は[[モノレール|跨座式モノレール]]で、ほとんどの部分が高架線だが、羽田空港旅客[[空港ターミナルビル|ターミナルビル]]移転に伴う路線の移設・延長に伴い、天空橋駅付近と新整備場 - 羽田空港第2ビル間は地下線となっている。なお、地下線建設の際、構造上トンネルの断面積が大きくなるなどの理由で建設費がかさみ、運賃も値上がりした。[[1993年]]9月の羽田空港延伸前後の運賃を比較すると、一般の空港利用者は乗車距離が伸びたため、[[1991年]]末時点ではモノレール浜松町 - (旧)羽田間 (13.0km)が300円だったものが、[[1994年]]8月時点でモノレール浜松町 - 羽田空港(現・羽田空港第1ビル)間 (16.9km)が460円になった。ただし、初乗りは90円が110円に、同じ距離で例えばモノレール浜松町 - 羽田整備場(現・整備場)間11.8kmについて比較すると300円が340円となっており、同距離では20円 - 40円の値上げにとどまっている<ref>運賃額は1991年末時点を『JTB時刻表』1993年3月号、1994年8月時点を同1994年9月号で確認。</ref>。
車両は開業以来、[[日立製作所]]製造のものを使用している。かつては置き換えのペースが新造後13年程度と早かったが、[[京浜急行電鉄]]との競合状態となってから車両への投資は抑制気味である。
軌道は、運河の上に建設されている場所が多いため、橋脚にボートなどの[[船舶]]を繋留されてしまう場合があり<ref>初期には流された[[ヨット]]が引っ掛かって列車の運行に支障が出たこともあったという。</ref>、橋脚には「けい船禁止」の注意書きがある。道路橋などの上を走行する場合、橋脚あるいは跨線に「油が落ちることがあります」との注意書きがある。また、[[2011年]][[2月4日]]に発生した変電所トラブルによる長時間の運行停止が発生した際に、運河の上に軌道があることで、この区間で列車が立ち往生した際に乗客を救出することが困難であるという問題点が浮き彫りとなった。さらに、同年[[3月11日]]の[[東日本大震災]]発生時には、[[津波]]が到達する危険があることから([[東京湾]]一帯にも[[津波警報]]が発表されていた)警報が解除されるまで運河上の区間の安全確認ができず、運転再開まで長時間を要した。その後、対策として[[川崎重工業]]が開発した[[ニッケル・水素充電池|ニッケル・水素蓄電池]]である「ギガセル」を変電所に設置し、停電時においても蓄電された電力で最寄駅まで運行することができるようにしている<ref>{{Cite journal|和書 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |date = 2012-8 |volume = 46 |issue = 8 |page = 150 |publisher = [[鉄道ジャーナル社]] }}</ref>。
=== 路線データ ===
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東京国際空港が沖合へ展開していく事業が開始されると新ターミナルの建設も開始され、その際に東京モノレールは新ターミナルへのルートを考案した。旧羽田駅から直進するルートや昭和島駅付近から短絡ルートを敷設する案も検討されていたが、結局、空港敷地の南側を経由するルートに決定した。
[[1998年]]、それまで空港の外れの位置までで直接空港内には乗り入れておらず、アクセス路線としてはほとんど機能していなかった[[京浜急行電鉄]](京急)[[京急空港線|空港線]]が空港内に乗り入れてきた。さらに、[[京成電鉄]]や[[東京都交通局]]など5社局(当時)が相互乗り入れすることによって羽田空港と[[千葉県]]方面を結び、羽田 - [[成田国際空港|成田]]間の直通連絡特急([[エアポート快特]])の運転も開始した。そのため、浜松町でJR線と接続しているとはいえ広域で見た場合のネットワークにやや劣ることもあり、開通以降長らく続いてきた「羽田空港への唯一の軌道系公共交通機関」から一転、激しい競争にさらされた。[[1997年]]に最高の6,500万人を達成した輸送人員が、京急乗り入れ後3割減少した。
羽田発着の航空機の増加への対応や、京浜急行電鉄などとの競争のためには増発が必要になったが、ネックになったのは単線ホームの浜松町駅で、改築が急務となった。東京モノレールや親会社の日立グループは大規模な投資が必要なため躊躇していたが、かねてから羽田空港アクセスに参入する意向を持っていた[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と思惑が一致し、運営会社の日立物流は2001年に株式の70%を譲渡し、東京モノレールの経営権をJR東日本に移譲した。また、日立製作所はモノレールの生産・販売・サービスなどの旅客事業を発展させるため、株式の30%を取得している。
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2013年2月、JR東日本の社長定例記者会見で、浜松町駅西口周辺開発に合わせて、JRとモノレールを対象とする駅全体の改築を計画していることを明らかにしたが、モノレールの東京駅への延伸構想については、工期やコストなどの観点から、現時点での事業化は難しいとの考えを示した。しかし、引き続き検討を進めていきたいとしている。
一方で、2013年11月には、JR東日本が[[田町駅]]から
2014年1月の[[産経新聞]]インタビューによれば、JR東日本社長の[[冨田哲郎]]は「日本経済、東京という都市にとって、重要なルートになる」と述べている<ref name="sankei20140110" />。また、冨田は競合することになる東京モノレールを新路線開業後も存続させる考えを示している<ref name="sankei20140110">[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140110/biz14011008040002-n1.htm JR東が北関東と羽田空港を直結 冨田社長、新線乗り入れ構想表明] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140925195124/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140110/biz14011008040002-n1.htm |date=2014年9月25日 }} - 産経新聞、2014年1月10日</ref>。
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東京都心 - 羽田空港間の鉄道は1998年に京急が本格参入し、1日平均乗降客数はモノレールが約6万5,000人、京急が約8万2,000人と、京急が優勢となっている<ref name="j-cast20140202" />。ここにJR新線が実現すると三つ巴の激しい争奪戦が展開されることになる<ref name="j-cast20140202">{{cite news |title= 東京五輪で都心の鉄道新線計画が再始動 羽田アクセス改善、国、都、JR、私鉄が複数案 : J-CASTニュース|newspaper= J-CAST|date=2014-2-2 |url= http://www.j-cast.com/2014/02/02195123.html?p=all|accessdate=2014-5-9}}</ref>。
2015年[[3月14日]]の[[上野東京ライン]]開通では、[[宇都宮線]]・[[高崎線]]・[[常磐線]]が、東京モノレールの連絡駅である浜松町駅を通過して、
=== その他 ===
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