「セシル・B・デミル」の版間の差分

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[[1920年代]]の人気が訪れるよりも前に、1913年以降の監督第1作ほか、数多くの[[サイレント映画]]の短編作品を監督した。エジソンの作った映画特許会社[[モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー|MPPC]](→[[スタジオ・システム]])の手から逃れるためにハリウッドで映画製作をしたのである。
 
1913年には、[[映画プロデューサー]][[ジェシー・L・ラスキー]]らが設立した映画会社にて、[[ハリウッド]]初の長編映画(80分以上)である「スコウ・マン」を監督し人気を呼んだ。
 
1915年には「[[チート (映画)|チート]]」で[[早川雪洲]]をトップスターにしたほか<ref>[http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo5042.html チート] 淀川長治総監修世界クラシック名画選集、IVC</ref>、運転手兼従者にヤマベという日本人を雇っており、欧州旅行などにも同行させていた<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=h8I1dEf7GqIC&pg=PT100&lpg=PT100 Cecil B. DeMille's Hollywood By Robert S. Birchard]University Press of Kentucky, Dec 1, 2009 </ref><ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1021182/65 活動の王國ハリーウツド]『あめりか写真紀行』北尾鐐之助 著 (大阪毎日新聞社[ほか], 1926)、p89</ref>。