「なまはげ」の版間の差分

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'''なまはげ'''は、[[男鹿半島]]周辺で行われてきた[[年中行事]]、あるいはその行事において[[仮面]]をつけ[[藁]]の衣装をまとった神の使い([[来訪神]])を指す。
 
[[秋田県]]全体の3%に満たない男鹿半島<ref group="注">面積において男鹿市は秋田県全体の約2.01%、人口においても2.73%を占めるに過ぎない(2017年時点)。</ref>の、年一回しかない「なまはげ」は今や、秋田県全体の[[記号]]として用いられるまでの知名度を持つようになっている。しかし、男鹿半島での伝統は、地元自治体が[[補助金]]を出して下支えしなくてはならないほどの衰退傾向を見せている。また、本来の「来訪神」と無関係な上、異形を誇張しただけの[[#「鬼」化|「鬼」化]]した多数の平面像ならびに立体像が乱造され、あるいは[[キャラクター]]として[[デフォルメ]]されたグッズが氾濫し、顕著に[[#「観光」化|「観光」化]]されている。
 
== 概要 ==
[[秋田県]][[男鹿半島]]([[男鹿市]])、および、その基部([[山本郡]][[三種町]]・[[潟上市]])の一部においてみられる伝統的な民俗行事またはその行事を執り行う者の様相を指す。「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が家々を巡って[[厄払い]]をしたり、怠け者を諭したりする。
 
なまはげと[[#同様の行事|同様の行事]]は日本各地に広く分布し、男鹿半島からそれらに伝播したとの証拠も無い。しかし、何故そのようなことになったのかは不明だが、なまはげだけが圧倒的な知名度を得て、秋田県の[[記号]]になるまでに至った。その訴求力の大きさから秋田県の観光PRに用いられるのは勿論、秋田県に関連する私企業でもモチーフにされたり、秋田県関連の物販・飲食店での[[オーナメント]]や[[余興]]の1つとされたりして頻繁に用いられている。
 
=== 開催時期の前倒し ===
[[江戸時代]]には[[太陰太陽暦#日本の太陰太陽暦|太陰太陽暦]]:[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]の[[小正月]]に開催されていたが、[[明治]]の[[改暦]]で約1ヶ月前倒しとなる[[グレゴリオ暦]]:[[1月15日]]の小正月に開催する例も見られるようになった。
 
[[戦後]]は更に2週間ほど前倒しされた[[大晦日]]([[12月31日]])に行われている<ref>[http://sai-jiki.jp/column/fuyu/kosyogatusetubun 小正月から節分の風習と神仏](Sai-Jiki 彩時記)</ref>。
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}}
家々を回る年中行事としてのなまはげを実施する集落はかつては男鹿半島のほとんどだったが、[[少子高齢化]]の影響で現在はほぼ半減している<ref name="kahoku20171229"/><ref name="Nikkei20130418">[https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1800R_Y3A410C1CC0000/ なまはげ伝承に「黄信号」 少子高齢化で担い手不足](日本経済新聞 2013年4月18日)</ref>。
 
本来、地区の未婚の男性がなまはげを務めるのが習わしだったが、高齢化と地区の人口減により担い手の若者が減ったため既婚男性や高齢者、さらには帰省中の親族など地区外の者が務める例も見られるようになった<ref name="kahoku20171229"/><ref name="Nikkei20130418"/>。また、なまはげの主な訪問先である子供がいる世帯が少子化により減少しているため、実施する動機の減退もみられる<ref name="kahoku20171229"/>。その他、年末年始に仕事があったり、旅行などで不在だったりと住民の生活の変化もなまはげの衰退の要因になっている。
 
対策として[[2012年]]度(平成24年度)より男鹿市はなまはげを実施する町内会に補助金を出すようになったが、同市内の148の町内会のうち同年度、補助金を受けて6町内会がなまはげを再開したものの、半数近い71町内会が実施しなかった<ref name="Nikkei20130418"/>。[[2015年]]度(平成27年度)も69町が実施しなかった<ref name="kahoku20171229"/>。
 
=== 「観光」化 ===
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=== 「鬼」化 ===
なまはげは本来、[[鬼]]とは無縁の[[来訪神]]であったが<ref>{{Cite book|和書|author=大湯卓二・嶋田忠一|title=東北の鬼|year=1989|publisher=岩手出版|ncid=BN04047704||chapter=秋田の鬼}}</ref><ref name="komatsu01">{{Cite book|和書|author=[[小松和彦]]|title=妖怪文化入門|year=2012|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4-04-408303-8|pages=150-152}}</ref>、近代化の過程で鬼文化の一角に組み込まれ、変容してしまったという説がある<ref name="komatsu01" />。[[浜田広介]]の児童文学『[[泣いた赤鬼]]』([[1933年]])のような、赤(ジジナマハゲ)と青(ババナマハゲ)の一対となっていることがあるが、そのような設定がいつ頃からあるのかは不明である
 
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=== 同様の行事 ===
[[本州]]北部の[[日本海]]沿岸部には[[青森県]]西津軽のナゴメタクレ、秋田県[[能代市]]のナゴメハギ、[[秋田市]]のやまはげ、秋田県沿岸南部のナモミハギ、[[山形県]][[遊佐町]]の[[アマハゲ]]等があり、主に[[新潟県]][[村上市]]や[[石川県]][[能登半島|能登地方]]には[[あまめはぎ]]が伝えられ、[[福井県]]には[[語源]]は異なるが[[あっぽっしゃ]]などの呼び名でも分布する。
 
[[太平洋]]沿岸部([[三陸海岸]])にも同様のものが存在し、[[岩手県]]では[[久慈市]]のナガミ、[[野田村]]・[[普代村]]・[[山田町]]のナモミ、釜石市のナナミタクリ、[[大船渡市]][[三陸町]]吉浜の[[吉浜のスネカ|スネカ]]、同市三陸町越喜来のタラジガネ、内陸に入って[[遠野市]]のナモミタクリやヒカタタクリ等がある。
 
[[愛媛県]][[宇和島市|宇和島地方]]では、前述の低温火傷を「あまぶら」といってあまぶらができるような怠け者が便所に入ると「あまぶらこさぎ」という者があまぶらを取り去るという<ref>{{Cite book|和書|author=[[水木しげる]]|title=[[水木しげるの妖怪事典|水木しげるの続・妖怪事典]]|year=1984|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=978-4-490-10179-9|page=136}}</ref>。当地は江戸時代、[[仙台藩]]主・[[伊達政宗]]の次男である[[伊達秀宗]]が立藩した[[宇和島藩]]の[[知行]]である。
 
== 歴史 ==
=== 発祥 ===
[[妖怪]]などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていない。秋田には「[[漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]が男鹿を訪れ、5匹の[[鬼]]を毎日のように使役していたが正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った」という伝説があり、これをなまはげの起源とする説がある<ref>{{Cite book|和書|author=[[万造寺竜]]|title=旅の伝説玩具|year=1936|publisher=[[旅行界発行所]]|url={{NDLDC|1441373/45}}
|page=75-77}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=[[野添憲治]]・野口達二|title=秋田の伝説|year=1976|publisher=[[角川書店]]|series=日本の伝説|ncid=BN03653538|page=23-24}}</ref>。
 
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=== なまはげ柴灯まつり ===
なまはげはかつて[[小正月]]([[旧暦]][[1月14日 (旧暦)|1月14日]]/[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]または[[新暦]][[1月14日]]/[[1月15日]])におこなわれていた。旧暦の小正月を新暦に当てはめると、毎年日にちは異なるが2月初旬から3月初旬のいずれかの日にあたる。「なまはげ柴灯(せど)まつり」は旧暦の小正月の時期に近く、新暦の[[月遅れ]]付近にあたる毎年2月の第2[[金曜日|金]]・第2[[土曜日|土]]・第2[[日曜日|日]]に行われている。[[1964年]](昭和39年)の初回は[[男鹿温泉郷]]の[[星辻神社]]で開催されたが、後年、[[真山神社]]に会場が移った。
 
主に観光向け行事として親しまれている。こちらは、なまはげの着ているケラから落ちた[[藁]]を頭などに巻きつけると無病息災の御利益があるといわれている<ref>[http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/namahage.htm 「男鹿のなまはげ」秋田県公式サイト内]</ref><ref>[http://namahagechisiki.sblo.jp/article/34137812.html なまはげに関する基礎知識] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140824132913/http://namahagechisiki.sblo.jp/article/34137812.html |date=2014年8月24日 }}</ref><ref>[http://common.pref.akita.lg.jp/bussan/product/special.html?id=1591 「美と畏怖の追求~ナマハゲ面彫刻~」秋田の物産総合情報サイトNEMARE内] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140823202429/http://common.pref.akita.lg.jp/bussan/product/special.html?id=1591 |date=2014年8月23日 }}</ref>。
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[[ファイル:Oga nsta2.JPG|thumb|none|男鹿駅前の2体の立像(2012年10月)]]
}}
秋田県では、藁で体をつくり木彫りの面をつけた人形[[道祖神]]「[[鹿島様]]」を集落の入り口に設置する風習があり、高いものでは4[[メートル|m]]にも及ぶ<ref>[http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/kashima.htm 鹿島まつり](秋田県「美しき水の郷あきた」)</ref><ref>[http://common3.pref.akita.lg.jp/genkimura/village/detail.html?cid=39&vid=1&id=940 若畑の鹿島様](秋田県「秋田県のがんばる農山漁村応援サイト」 2011年4月)</ref>。鹿島様となまはげは風貌は似ているが、なまはげ立像の設置に鹿島様のような宗教性があるとの言及は見られず、設置場所も集落の入り口とは限らない。
 
近年の立像では、赤と青の1対のなまはげが設置される傾向があるが、伝統を受け継いできた数十の集落でこのような赤と青の1対が定番なのかは不明である。
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=== なまはげをモチーフにしたもの ===
* [[超神ネイガー]]
*:なまはげをモチーフにした秋田県出身の[[キャラクター]]。考案者は[[にかほ市]]在住の元プロレスラー。テーマ曲はが手掛け、[[水木一郎]]がテーマ曲を歌っている。乗り物は[[自脱型コンバイン|二条狩りのコンバイン]]や[[ハタハタ]]型の[[オートバイ]]など。
[[File:Nummy & Huggy.jpg|thumb|ナミーとハギーの絵(2013年9月)]]
* ナミー・ハギー
*:[[2001年]]に開催された秋田[[ワールドゲームズ2001]]での大会マスコット。終了後は、[[秋田信用金庫]]に譲渡されて同信金のマスコットとして配布物に使われている。
* 男鹿なまはげーず
*:アニメ「[[Wake Up, Girls!]]」に登場した秋田県の3人組女性[[ご当地アイドル]]ユニット。メンバー3人とも鬼化した赤面を被った「ジジナマハゲ」を衣装とする。
 
=== なまはげと命名されたがなまはげではないもの ===
* [[1985年]]([[昭和]]60年)~[[2006年]]([[平成]]18年)の期間と[[2012年]](平成24年)からの期間に[[トヨタ・カローラ|トヨタ・カローラ→トヨタ・カローラアクシオ]]セダンの1300ccモデルをベースとした[[秋田県]]限定の[[特別仕様車]]「なまはげ」が販売された。
* ゲーム・アニメ「[[妖怪ウォッチ]]」に登場するキャラクターの1つに「なまはげ」がある。
* アニメ[[けいおん]]第一期 番外編「ライブハウス!」にて、対バンのメンバー表に「ナマハ・ゲ」というバンド名がある。が、キャラクターは画面では確認することが出来ない。
 
== 脚注 ==