「中国東北部」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2011年1月}}
[[File:Northeast China.svg|250px|thumb|中国東北部]]
'''中国東北部'''(ちゅうごくとうほくぶ、[[中国語]][[簡体字]]:{{lang|zh|中国东北}} ([[ピン音|拼音]]:Zhōngguó dōngběi))とは、[[中華人民共和国]]の東北側外縁に存在する地域であり、る。

歴史的に'''[[満州]]'''(まんしゅう、マンジュ、拼音:Mǎnzhōu、[[英語]]:Manchuria)と呼ばれていた地域である。

狭義には[[遼寧省]]・[[吉林省]]・[[黒竜江省]]の東北三省(旧称:[[東三省]])の総称。中華人民共和国における地域をブロックに分けた区分では「東北区」と呼んでいる。
 
広義には旧[[満州国]]に相当する、東三省と[[内モンゴル自治区|内蒙古]]の東北部(すなわち現在の[[フルンボイル市]]、[[ヒンガン盟]]、[[通遼市]]、[[赤峰市]])を合わせて指す。[[19世紀]]中頃の条約でも[[清|清朝]]のもとに残された、[[南満州|内満洲]]地域である。
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中国の他の地域とは違い、東北三省の住民は遼寧、吉林、黒竜江の各省の住民としてよりも「東北人」としての意識が大きい。この原因にはこの地区の独特な歴史、風俗習慣及、言語の一致、「[[闖関東]]」と呼ばれる人口移動現象により、[[河北省]]、特に[[山東省]]からの移民が主に関係している。
 
言葉は、大部分の人たちが[[官話]]方言(中国語北方方言)を話し、[[ハルビン市|ハルビン]]人は[[普通話]]の発音が最も標準的といわれ、ハルビン出身のラジオ・テレビの[[アナウンサー]]も多い。[[瀋陽市|瀋陽]]を中心に[[東北官話]]が、[[大連市|大連]]付近は[[膠遼官話]]が使われている。

満洲は[[漢民族|漢族]]を主体として、[[満州民族|満州族]]、[[モンゴル族]]、[[朝鮮族]]、[[オロチョン族]]、[[エヴェンキ族]]、[[シベ族]]及び[[ロシア人]]等の文化習俗に[[日本]]・[[ロシア]]・[[朝鮮]]の国家的風俗文化と[[言語]]が融合した多元文化圏に属している。

多くの[[満州民族|満洲族]]文化と共に[[日本語]][[朝鮮語]][[ロシア語]]からの語彙と生活様式を吸収しており、語彙では、“{{lang|zh|噶斯}}”([[日本語]]の瓦斯の音訳:[[ガス]])、“{{lang|zh|咧巴}}”({{lang-ru|Хлеб}}の音訳:[[パン]])、食べ物では[[ロシア料理]][[朝鮮料理]]の[[キムチ]]、[[犬食文化|犬肉食]]などが外来文化の影響を受けている。一般に、晩秋白菜を瓶に漬けた「酸菜」(スワンツァイ)に、豚肉とジャガイモを入れて鍋で煮た料理は、東北人が冬最も好む地方料理である。満洲族から出たといわれるお菓子「[[シャーチーマー]]」(沙琪瑪)もある。
 
東北地区起源の他の伝統文化に、[[二人転]]、[[ヤンガー]](秧歌)、[[吉劇]]、[[竹馬#諸外国では|高足]](中国語{{zh-t|踩高蹺}}、ツァイカオチアオ)がある<ref>[http://jp.changchun.gov.cn/japan/whys.aspx?ID=3 中国・長春の民俗文化]</ref>。東北地方の民謡に、子守唄「[[東北地方の子守歌|東北揺籠曲]]」(“月児明、風児静、…”)もある。
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== 日本との関係 ==
清朝時代の満州は荒野が目立つ辺境の地であった。それは満州族の祖地であるため漢人の入植が制限されたからであり、近代には[[ロシア帝国]]の極東進出([[南下政策]])にも晒されたからである。

[[19世紀]]後半にはロシアの脅威を受け清朝が一転して植民を促したことで漢民族の人口は増加し土地が農耕によって開墾された。[[日露戦争]]で勝利を収め、その後の[[韓国併合]]も重なり[[日本統治時代の朝鮮|統治下の朝鮮]]と地理的に接する南満州を得た[[大日本帝国]]は東北部を拠点とする軍閥の[[奉天派]]を支援した。

[[満州国]]統治時代(1932年 - 1945年)になると、日本から[[資本]]が投下され[[鉄道]][[発電所]]など近代的な[[インフラストラクチャ]]が整備された。日本の傀儡政権とはいえ、安定と発展がもたらされた満州国には[[満蒙開拓団|日本人開拓団]]の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多の移民が流入した。その結果、人口が建国時の約3000万から約4500万に膨れ上がった。新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルビン、吉林、チチハルといった近代的な都市が形成された時期でもある。

[[第二次世界大]]後、[[1949年]][[10月1日]]に建国された[[中華人民共和国]]の統治下に入った後は[[改革開放]]が始まるまで中国随一の[[工業]]地帯として[[中華人民共和国の経済|同国の経済]]を支えた。
 
現在の日本とも関わりが深く、[[在日中国人|日本に居住する中国人]]の3割以上や[[中国残留孤児]]の殆ど大多数は東北部の出身である<ref>在留中国人の出身地は、遼寧省 (16%)、黒竜江省 (10.6%)、吉林省 (8.3%) の東北3省で約35%を占め、これに台湾を加えると4割を超える(2009年)[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5549?page=3 川嶋諭/ジャパンビジネスプレス2011.03.05掲載]</ref>。日本でしている中国人留学生は、この地域の出身者が最である。中国の中では比較的親日的な地域とされており、日系企業の進出が多い地域の一つである。
 
== 参考 ==