「アンドロノヴォ文化」の版間の差分

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==時代区分==
時代的・地域的に少なくとも4つの文化に細分される。[[カスピ海]]・[[アラル海]]北側の南[[ウラル山脈|ウラル]]地域から始まり、東および南に拡大したとされる。
*{{仮リンク|[[シンタシュタ文化|en|Sintashta culture}}]](Sintashta-Petrovka-Arkaim):ウラル南部、[[カザフスタン]]北部、紀元前2200-1600年頃。[[チェリャビンスク州]]シンタシュタ遺跡は紀元前1800年頃、近くのアルカイム遺跡は紀元前17世紀とされる。
*アラクル(Alakul)文化:[[アムダリヤ]]・[[シルダリヤ川|シルダリヤ]]両川間の[[キジルクム砂漠]]、紀元前2100-1400年頃。
*アレクセーエフカ(Alekseyevka)文化:カザフスタン東部、紀元前1300-1000年頃の青銅器時代末。[[トルクメニスタン]]のナマズガ(Namazga)VI期([[バクトリア・マルギアナ複合]]に含まれる)と接触した。
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==インド・イラン民族との関係==
アンドロノヴォ文化の分布地域は[[インド・イラン語派]]の発祥地と目される地域に重なり、またこの地域のなかにある{{仮リンク|[[シンタシュタ文化|en|Sintashta culture|label=シンタシュタ・ペトロフカ・アルカイム文化}}]]で紀元前2000年頃に[[スポーク]]型車輪のついた[[チャリオット]]<ref>のちにインドや中近東各地で用いられた二輪戦車</ref>を発明したとも考えられているため、この語派との関係が有力視されてきた。
 
[[ウラル川]]上流部にあるシンタシュタ遺跡は、チャリオットが墓の副葬品として発掘されたので有名である。[[クルガン]](墳丘)で覆われ、動物(馬と犬)も殉葬された。シンタシュタや他のヴォルガ・ウラル地域の遺跡は原インド・イラン民族のものと考えられてきた。