「トウモロコシ」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 起源 ===
[[ファイル:Mochica Corn.jpg|thumb|200px|紀元[[300年]]ごろの南米[[モチェ文化]]の黄金のトウモロコシ像。[[ペルー]]、[[リマ]]のLarco博物館蔵]]
[[ファイル:Centeotl.jpg|thumb|200px|[[センテオトル]]。アステカ文明におけるトウモロコシの神]]
現在最も支持されているのは[[テオシント]]起源説<ref>{{Cite journal |first=G. W. |last=Beadle |authorlink=ジョージ・ウェルズ・ビードル |url=http://jhered.oxfordjournals.org/content/30/6/245.extract |title=Teosinte and the origin of Maize |journal=J Hered |publisher=Oxford University Press |year=1939 |volume=30 |issue=6 |pages=245-247 |language=英語 |accessdate=2015-10-13 }}</ref>で、遺伝子解析などの結果から裏付けられている<ref name="AA11751099">{{Cite journal |和書 |author=福永健二 |url=http://hdl.handle.net/10502/4037 |title=植物のドメスティケーション : トウモロコシの起源 - テオシント説と栽培化に関わる遺伝子 |journal=国立民族学博物館調査報告 |publisher=国立民族学博物館(みんぱくリポジトリ) |date=2009-03-31 |issue=No.84 |pages=137-151 |naid=AA11751099 |accessdate=2015-10-13 }}</ref>。トリプサクム属を起源とする説は解析の結果、否定されている<ref name="AA11751099"/>。また、テオシントとトウモロコシの分岐年代は約9200年前とされている<ref name="AA11751099"/>。
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=== 旧世界への伝播 ===
[[1492年]]、[[クリストファー・コロンブス]]がアメリカ大陸を発見した際、現地のカリブ人が栽培していたトウモロコシを持ち帰ったことで[[ヨーロッパ]]に伝わった。ほぼ即座に栽培が始まり、[[1500年]]には[[セビリア]]において栽培植物としての記録が残っている<ref name="ケンブリッジ2p43">『[[#ケンブリッジ世界の食物史大百科事典 2|ケンブリッジ世界の食物史大百科事典 2]]』, p. 43.</ref>。経緯は不明だが最初の大規模栽培は[[トルコ帝国]]から始まり、「トルコ小麦」と呼ばれた。目新しい植物であるトウモロコシは18世紀初頭まで[[十分の一税]]の対象となっておらず、[[粟]]と転換する形で急速に伝播した{{sfn|トゥーサン=サマ |1998|p=174}}。
 
[[16世紀]]半ばには[[地中海]]沿岸一帯に広がり、16世紀末までには[[イギリス]]や[[東ヨーロッパ]]にも伝わってヨーロッパ全土に栽培が伝搬した。ヨーロッパにおいては当初は貧困層の食料として受け入れられ、それまでの穀物に比べて圧倒的に高い収穫率は「[[17世紀の危機]]」を迎えて増大していた人口圧力を緩和することになった{{sfn|南直人|1998|pp=63-66}}。[[アフリカ]]大陸には16世紀に、[[アジア]]にも16世紀はじめに、そしてアジア東端の日本にも1579年に到達している。この伝播は急速なもので、[[1652年]]にアフリカ南端の[[ケープタウン]]に[[オランダ東インド会社]]が[[ケープ植民地]]を建設した際には、すでに現地の[[コイコイ人]]には陸路北から伝播したトウモロコシが広まっていた{{sfn|星川清親|1985|p=310}}。