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'''ジュール・パスキン'''('''Jules Pascin'''、本名 '''ユリウス・モルデカイ・ピンカス'''(Julius Mordecai Pincas)、[[1885年]][[3月31日]] - [[1930年]][[6月5日]])は[[ブルガリア]]人の[[画家]]。[[エコール・ド・パリ]]全盛の[[1920年代]]、[[モンパルナス]]で華やかな浪費生活をし「モンパルナスの[[王子]]」の異名を得た。「パスキン」は、本名のピンカスの[[アナグラム]]。
ブルガリアの[[ヴィディン]]に[[穀物]]商を営む裕福な[[セファルディム]]系[[ユダヤ
[[1905年]]に[[パリ]]へ[[移民|移住]]。本格的に[[油画]]に取り組む。この年から「パスキン」の名を用いるようになる。[[サロン・ドートンヌ]]や[[アンデパンダン展]]に作品を発表する。[[1913年]]に[[ニューヨーク]]で行われた大規模な展覧会「[[アーモリー・ショー]]」に選抜され出展(アーモリー・ショーはアメリカで初めて本格的にヨーロッパのモダンアートが紹介された展覧会。[[デュシャン]]が『階段を降りる裸体No.2』を出展し名声を博した)。
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