「近親相姦」の版間の差分

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J. M. Goodwinは、父と娘の近親姦においては「目隠し (Blind)」と名付けられる特徴があることを報告しており、その5つの特徴とは、「Brainwash(洗脳…家族では当たり前のことであるという話や秘密にしなければならないという嘘の情報を与え、子供を洗脳すること)」、「Loss(喪失…秘密にしなければ家族崩壊や友人関係の消失が起こると脅迫し口を封じること)」、「Isolation(分離…人に話せば友人から信用されなくなると言い、子供が[[真実]]の情報を得る事を出来なくさせること)、「Not awake(未覚醒時…[[睡眠]]時、[[病気]]の際や身体的虐待時など[[意識]]や判断能力の低下時に虐待をすること)」、「Death fears(死の恐怖…人に話せば殺すというメッセージを送ること)」であるとしているが、吉田タカコ (2001) はこれは父娘姦の特徴というよりは性的虐待一般に当てはまることの多い特徴だと指摘している<ref>『子どもと性被害』(吉田タカコ、2001年) 66頁 ISBN 4-08-720095-7</ref>。
 
James A. Monteleone編著『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』 (1998) には、正常な人間には理解不能だろうが私は自分を強姦した父親を愛していたのだという女性の話が載せられている<ref>『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』(ジェームズ・A・モンテリオン編著、加藤和生訳、慶應義塾大学出版会、2003年、原著1998年) 163、164頁 ISBN 4-7664-0996-5</ref>。[[スティーブン・レベンクロン]] (1998) は、父親に12歳まで性行為をされていた娘の証言として、自分を切り付けることは、もともとは父親がいないので寂しさのあまり切り付けたのが始まりだったはずで、すっかり嗜癖になっているのではないかという話を記す{{Sfn|レベンクロン|2005|pp=179, 184 - 185}}。原田武 (2001) は、父娘姦を虐待とみなす論者は[[性的好奇心]]につけこんで性行為を行うことも虐待であると主張しているのであろうが、父と娘の近親姦では父親による明白な暴力を伴うことはそれほど多くなく、多くの場合は娘は父親に抵抗せず、娘が自発的に参加しているように見える場合も少なくないため、自分にとって頼れる人を娘が求めているがゆえに父親の行為に応じやすくなっているのではないかと指摘している{{Sfn|原田|2001|pp=159 - 160}}。[[小林美佳 (エッセイスト)|小林美佳]]は『性犯罪被害とたたかうということ』(2010年、文庫2016年)で、父親と性関係を持っている娘の「恋人とのセックスなんて、考えただけで気持ち悪い」という証言を引く{{Sfn|小林|2016|p=105}}。[[岡田尊司]] (2014) は、父親に性的虐待を受けた娘は第三者的にはただの被害者のように感じるが、実際には父親の妻としての自負があるため、その部分に対しても配慮すべきと主張する{{Sfn|岡田|2015a|pp=108 - 109}}。
 
信田さよ子編著『子どもの虐待防止最前線』(2001年)には、タイ人女性と結婚した日本で働く継父が、妻の連れ子である継娘に性的虐待をしたとして問題になり、日本にはもう居たくないということでその継娘はタイに向かったものの、結局タイの生活になじめず日本に戻ってきてしまったという話が載せられている<ref>『子どもの虐待防止最前線』(信田さよ子編、大月書店、2001年) 36、37頁 ISBN 4-272-41130-6</ref>。信田さよ子の著作『加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら』 (2008年、文庫2015年)には、実際問題として性的虐待があろうと娘と父親が同居せざるを得ない事例は少なくないと述べる{{Sfn|信田|2015|p=31}}。