「瀧川鯉昇」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
68行目:
==エピソード==
===入門以前===
 
* 鯉昇は[[静岡県立浜松西高等学校]]の演劇部に在籍中、落語を披露したことがきっかけで落語に興味を持つようになった。東京に出て、役者か噺家になることが夢であった鯉昇は勉強はせず、成績はクラス50人中49番(50番目の生徒は病欠)であったが、高校3年の夏、俳優か噺家になるために上京するには両親を説得できるだけの理由が必要であることに気が付き、東京にある大学を受験するために「猛勉強」を始める。その結果、[[明治大学]][[農学部]]に合格する(倍率は1.01で鯉昇は補欠入学)。
* [[静岡県立浜松西高等学校]]では演劇部に在籍<ref>{{Cite web|url=http://www.chunichi.co.jp/shizuoka/school/hamanishi/CK2007032402103218.html|title=浜松西高80周年 西山台に時移り 卒業生編 芸能 “夢の卵”温めた青春|accessdate=2018年8月19日|date=2005年1月15日|publisher=中日新聞東海本社}}</ref>。同時に[[浜松放送劇団]]にも所属<ref>{{Cite web|url=http://mitaka.jpn.org/ticket/1212010/|title=瀧川鯉昇インタビュー(瀧川鯉昇独演会)主催事業アーカイブ|accessdate=2018年8月19日|date=2014年8月14日|publisher=公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団}}</ref>。演劇部では、1年の時に先輩の[[斉木しげる]](当時[[早稲田大学]])からスウェーデン体操の指導を受けている<ref>{{Cite book|author=瀧川鯉昇|title=鯉のぼりの御利益|date=2016年7月31日|year=|accessdate=|publisher=東京かわら版|page=45|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
 
* 鯉昇は[[静岡県立浜松西高等学校]]の演劇部に在籍中、落語を披露したことがきっかけで落語に興味を持つようになった。東京に出て、役者か噺家になることが夢であった鯉昇は勉強はせず、成績はクラス50人中49番(50番目の生徒は病欠)であったが、高校3年の夏、俳優か噺家になるために上京するには両親を説得できるだけの理由が必要であることに気が付き、東京にある大学を受験するために「猛勉強」を始める。その結果、[[明治大学]][[農学部]]に合格する(倍率は1.01で鯉昇は補欠入学)。
 
* 当時の日本では[[学生運動]]が盛んで学生同士の仲間意識が強く、「一緒に入学したんだから一緒に卒業しよう」という雰囲気があり、[[カンニング]]をする生徒が少なくなかった。しかし、当時のカンニングは「出来の悪い生徒が盗み見する」ものではなく、「出来のよい生徒が答案用紙を見せびらかす」ものであり、視力の良かった鯉昇はその恩恵にあずかり大学を卒業する(レポートなどは質より量でごまかした)。
* 学生時代は名門である明治大学[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属していたが、部室へ近道をしようとして、その部室の下にある石垣を風呂敷を背負って登っていたところを警察官に見つかり、泥棒と間違われた鯉昇は自らの無実を晴らそうとしてその警察官と共に部室を訪れた。このことを咎められ、入部して2ヶ月足らずでクビになった(学生運動が盛んであった当時では、警察官を大学の構内に招き入れることはタブーであった)。