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ペキンパーが初めて監督した劇場映画は、『[[荒野のガンマン]]』([[1961年]])である。翌年に公開された『[[昼下りの決斗]]』([[1962年]])で監督としての力量を認められたものの、『[[ダンディー少佐]]』([[1965年]])<ref>[[ハーマン・メルヴィル]]の『[[白鯨]]』と比較されることがあり、ダンディーがエイハブ船長、タイリーンがスターバック、ライアンがイシュメイル、チャリバが白鯨だという。</ref>では編集権をめぐりプロデューサーと衝突、以後しばらく映画界から干されてしまった。しかしテレビ映画『昼酒』([[1966年]])での優れた演出が認められ、無事復帰することになる。
 
『[[ワイルドバンチ]]』([[1969年]])では、[[スローモーション]]撮影を多用とした独特のバイオレンス描写で[[アクション映画]]に新境地を切り開いた。その反面、一般客や保守的な批評家からは、その過激な暴力表現に対する批判を招いた。『[[砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード]]』([[1970年]])はペキンパーによってベスト・フィルムであることを宣言された作品であり、彼の穏やかな一面が見られる。『[[わらの犬]]』([[1971年]])はペキンパー作品でも特に暴力描写が激しい作品で、公開後物議を醸した。『[[ゲッタウェイ]]』<ref>http://www.imdb.com/title/tt0068638/</ref>([[1972年]])は人気俳優[[スティーブ・マックイーン]]を主役に、アリ・マッグロウを共演に迎え初の大ヒットを記録。ペキンパー監督作品としては最も娯楽色の強い映画である。なお、マックイーンとマッグロウは後に結婚している。
 
『[[ビリー・ザ・キッド/21才の生涯]]』([[1973年]])は[[ボブ・ディラン]]が音楽を担当していることで話題になった。ペキンパー本人も棺桶屋の役で出演している。『[[ガルシアの首]]』([[1974年]]) はアメリカでは惨敗したが、日本ではヒットした。しかしその次の監督作品『[[キラー・エリート (1975年の映画)|キラー・エリート]]』([[1975年]])『[[戦争のはらわた]]』([[1977年]])もアメリカでは興行的にいまひとつだったが、ヨーロッパや日本では高く評価され[[オーソン・ウェルズ]]や[[マーティン・スコセッシ]]らに絶賛された作品でもある。
 
== 監督としての特徴 ==
バイオレンス映画、アクション映画の原点にして頂点とも言える作品を数多く世に送り出した。また、滅びゆく西部の男たちを哀切の込もっ感に満ちた視線で描き続けたことから、「最後の西部劇監督」、もしくは「西部劇の破壊者」と呼ばれる。同時期の[[マカロニ・ウェスタン]]の巨匠[[セルジオ・レオーネ]]と同様、西部に対する深い愛と、失われてゆく西部への愛と哀愁が漂う作品が多かった。
 
予算やスケジュールを度外視してまで作品の完成度を追求し、気に入らないことがあれば関係者を容赦なく叱咤した。そのため製作者や出演者と事あるごとに衝突し、特に晩年は会社側からは扱いづらい監督として冷遇され続けた。また、私生活でも過度の飲酒や麻薬常用などの問題を抱えていた。それは誰にも自分の感情を理解してもらえない孤独な寂しさゆえの表れであったとも言える。晩年は実年齢と比べてかなり老け込んだ風貌だった。ペキンパーの作品は、トラブルメーカーだった本人自身の経験や人生が色濃く反映したものであるだった。ペキンパー映画の常連俳優である[[L・Q・ジョーンズ]]は、同じ内容の作品を14本も撮ったと語った。それぐらいペキンパーの作品は、彼自身の性格を表したような作品が多いということである。
 
ペキンパーは「ゲッタウェイ」に見られるように、スローモーションや細かいカットを自在に編集するセンスで、映画中に過激な暴力描写を生み出した。ペキンパー独自の演出は、マカロニ・ウェスタンや同じ暴力派のドン・シーゲルの影響を受けたと言われた。また、斬新な映像表現は[[ジョン・ウー]]や[[クエンティン・タランティーノ]]、[[ジョニー・トー]]に代表される[[フィルム・ノワール]]的な作品や[[ウォシャウスキー兄弟]]の『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』など、今日に至るまでのアクション映画における表現手法に多大な影響を及ぼした。
 
ペキンパー曰く、映画人生を通じて影響を受けた監督はドン・シーゲル、[[ジョン・フォード]]、[[黒澤明]]とのことである。特に黒澤の『[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]』はこれまで作られた映画の中で最も優れた作品、とインタビューの中で語っている。
*アニメーション演出家や[[映画監督]]としても活動する[[大友克洋]]はペキンパー作品などの[[アメリカン・ニューシネマ]]に強い影響を受けたことで知られている<ref>[[佐藤忠男]]「ビデオ&DVDで観たい決定版!日本映画200選」 [[清流出版]] 2004,</ref><ref>[[米澤嘉博]]「マンガからのエクソダス」『[[ユリイカ]]』1988年8月臨時増刊号、150p-151p</ref>。
*アニメーション関連のクリエイターでは、アニメ監督の[[渡辺信一郎 (アニメ監督)|渡辺信一郎]]が『映画秘宝』と『[[オトナアニメ]]』の合同インタビュー本で、『[[ダーティハリー]]』と『[[燃えよドラゴン]]』を別格の2本とした上で「自身のベスト10(「禍々しい映画」10本)」にペキンパー『ガルシアの首』を入れている<ref>『映画秘宝ex&[[オトナアニメ]]ex アニメクリエイターの選んだ至高の映画』62p-71p</ref>。同誌のインタビューに答えた[[會川昇]]もペキンパー『[[ビリー・ザ・キッド/21才の生涯]]』をベスト10に入れている<ref>『映画秘宝ex&オトナアニメex アニメクリエイターの選んだ至高の映画』200p-209p</ref>。
*[[ラッパー]]の[[宇多丸]]もペキンパー作品のファンであり自身のラジオ番組『[[ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル]]』の映画評論コーナー「ザ・シネマハスラー」にて『[[エグザイル/絆]]』にペキンパーの『ワイルドバンチ』や『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』の影響があることを指摘しながら論じた<ref>https://www.tbsradio.jp/utamaru/2008/12/index_4.html</ref><ref>『ザ・シネマハスラー』(白夜書房 、2010年2月) 編:TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」にも『[[エグザイル/絆]]』評が収録されている</ref>。また、[[井筒和幸]]がゲスト出演した際に井筒と共に、ペキンパー『ゲッタウェイ』を含めた作品を語っている。なお、この時に井筒は自身が監督した映画『[[黄金を抱いて翔べ#映画|黄金を抱いて翔べ]]』に影響を与えた犯罪映画の名作5作品の1つに『ゲッタウェイ』を挙げており、今でも年に2,3回は見る作品の1つであるとも述べている<ref>https://www.tbsradio.jp/utamaru/2012/10/24/</ref>。
*[[寺島進]]は自身の映画[[コラム]]でペキンパー『ワイルドバンチ』を好きな映画の1つとして取り上げている<ref>[https://www.cinematoday.jp/page/A0001156 【寺島進おれの1本】第4回『ワイルドバンチ』・第5回 ... - シネマトゥデイ』]</ref>。
*[[俳優]]の[[斎藤工]]は近年『[[TSUTAYA発掘良品]]』関連で、他の作品と共にペキンパーの『ガルシアの首』を鑑賞して絶賛し、好きな映画の一本に挙げている<ref>『CINEMAHandbook2016』24-29pの中の28p-29p</ref>
*[[映画監督]]・[[小説家]]・[[漫画家]]の[[きうちかずひろ]]もペキンパーの大ファンであり『映画秘宝』等のインタビューなどで、よくペキンパーの名を出してリスペクトを公言している。
*ラジオ番組『[[スカパー! 日曜シネマテーク]]』にコメント出演した[[辻仁成]]は自身の「映画ベスト3」を選ぶ企画で、ペキンパー『[[わらの犬]]』を自身の映画ベスト3に選んだ<ref>http://www.tfm.co.jp/movie/index.php?itemid=123013&catid=1737&catid=1737</ref>。
*[[俳優]]の[[長塚京三]]は著書『破顔』でペキンパーや[[アーネスト・ボーグナイン]]や[[ウォーレン・オーツ]]といったペキンパー組の役者にリスペクトを捧げている<ref>『破顔』2007年、3月8日、[[清流出版]]。70-77p,83p-95p,125p,137p</ref>。
*俳優で映画監督「OZAWA」こと[[小沢仁志]]は『[[キネマ旬報]] 1999年10月上旬特別号 NO.1293映画人が選ぶオールタイムベスト100(外国映画篇)』『キネマ旬報1999年10月下旬号NO.1294映画人が選んだオールタイムベスト100(日本映画篇)』のアンケートで洋画ではペキンパー『ワイルドバンチ』などを選んでいる。脚本家の[[野沢尚]]も同誌の同企画で洋画ではペキンパー『[[わらの犬]]』『[[ゲッタウェイ]]』などを選んだ。[[君塚良一]]は同企画で洋画ではペキンパーの『[[わらの犬]]』などを選んだ。<!--また君塚は自身の著書でも<ref>『シナリオライターになろう(1998年、同文書院)</ref>。-->
 
== 作品 ==
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