「エルバ島」の版間の差分

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[[1737年]]、メディチ家が断絶すると、エルバ島を含むトスカーナ大公国は、[[ハプスブルク家]]によって支配されることとなった。
 
フランス皇帝[[ナポレオン・ボナパルト]]が[[1814年]]にこのエルバ島([[1802年]]にフランス領)に追放され、「ムリーニ小宮殿」と呼ばれる小さな邸宅(現存)で299日間を過ごしたことでも有名である<ref>{{Cite book|和書 |author = [[小林登志子]] |year = 2015 |title = 文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ |publisher = [[中央公論新社]] |page = 18 |isbn = 978-4-12-102323-0}}</ref>。内陸部には「サンマルティーノ」と呼ばれる別荘もあった。<ref>[読売新聞 2010年5月7日夕刊15面 ちきゅう 時の散歩 松浦一樹]</ref>なおこれを種にした次のような[[回文]]は有名。:<br/>
「Able was I ere I saw Elba.(エルバ島を見るまでは、私に不可能はなかった)」