「ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公)」の版間の差分
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しかし、マールバラ公の失脚はトーリー党とホイッグ党の政争が絡んだ事情からであり、政権を取った和平派のハーレーらトーリー党はオーモンドに積極的な戦闘を控えるように指示、オーモンドもフランスの将軍[[クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール|ヴィラール]]と内通したり軍を動かさず終始不戦の態度を取り、[[1712年]]にイギリスとフランスの単独講和が成立すると大陸からイギリス軍を引き上げさせ帰国した。イギリス軍のいなくなった同盟軍はフランス軍に敗北([[ドゥナの戦い]])、スペイン継承戦争の終結に繋がった。
ところが、トーリー党は王位継承問題で内部分裂を起こし、アン女王の死後即位した[[はとこ|又従兄]]の[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]と結びついたホイッグ党によってハーレー・シンジョンら主要党員が弾劾・罷免され、オーモンドもホイッグ党に弾劾され全ての官職と公位及び財産を没収され、[[ジャコバイト]]と結んで[[1715年ジャコバイト蜂起|反乱]]を起こしたが失敗してフランスへ亡命した。その後[[1719年]]に[[四国同盟戦争]]に従軍したりジャコバイトの再度の
== 参考文献 ==
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