「ジェリンド・ボルディン」の版間の差分

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{{MedalCountry | {{ITA}} }}
{{MedalSport| [[陸上競技]]}}
{{MedalCompetition|[[オリンピック陸上競技|オリンピック]]}}
{{MedalGold|[[1988年ソウルオリンピック|1988 ソウル]]|男子マラソン}}
{{MedalCompetition|[[世界陸上競技選手権大会]]}}
{{MedalBronze| [[1987年世界陸上競技選手権大会|1987 ローマ]]|男子マラソン}}
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1986年[[ヨーロッパ陸上選手権|欧州選手権]]で男子マラソンで優勝した。翌1987年に地元で行われた[[世界陸上選手権#大会一覧|ローマ世界選手権]]では高温多湿となったレースでトップ集団からやや遅れて走り、後半の追い上げで[[ダグラス・ワキウリ]]、[[アーメド・サラ]]に続き3位に食い込んだ。
 
1988年の[[1988年ソウルオリンピック]]では、ワキウリ、サラ、ボルディンの世界選手権のメダリスト3人と[[中山竹通]]との優勝争いと見られていた。レースは大方の予想通りこの4人の争いとなり最初に中山が脱落した。残った3人による駆け引きで、38km過ぎのサラのスパートに、ワキウリと共に離されて一時は完全に脱落したと思われたが、粘りの走りで40kmを過ぎてからワキウリ、サラを次々と逆転し、イタリア人初の五輪マラソン優勝を果たした。このレースは[[日本放送協会|NHK]]が実況中継していたが、レースの解説者[[宗茂]]は、ボルディンが一時脱落したときに「イタリアの選手はここからが強いんです」と、ボルディンの優勝を予見するようなコメントを残している。
 
1990年に行われた欧州選手権で史上初のマラソン2連覇を果たした。しかし1991年の[[世界陸上選手権#大会一覧|東京世界選手権]]では期待はずれの8位に終わった。
 
1992年の[[1992年バルセロナオリンピック]]にも出場し五輪連覇を目指したが、レース途中で転倒した選手に巻き込まれそうになったためとっさによけようとした際に足に肉離れを起こすアクシデントで途中棄権した。
 
1897年に[[ボストンマラソン]]が始まって以来、[[アベベ・ビキラ]]をはじめとする過去の名選手達でも破れなかった「五輪マラソンの覇者はボストンマラソンに勝てない」というジンクスが約1世紀近くもの間存在したが、ボルディンは1990年ボストンマラソンで[[ジュマ・イカンガー]]らを相手にクレバーな追い上げで優勝し、長らく誰も破れなかったジンクスを初めて破った。彼は現在のところオリンピックとボストンマラソンの両方を制した唯一の男子選手となっているが、「また誰かが破るさ」と本人は語っている。
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* [[1986年]] 欧州選手権優勝([[シュトゥットガルト]])
* [[1987年]] ローマ世界選手権3位
* [[1988年]] [[1988年ソウルオリンピックにおける陸上競技|ソウルオリンピック]][[金メダル]]
* [[1990年]] [[ボストンマラソン]]優勝
* [[1990年]] 欧州選手権優勝([[スプリト]])