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フランスは[[第一次世界大戦]]において甚大な物的、人的損害を被った。敵国ドイツは大戦に敗北したが、その事をもってドイツの脅威が去ったと捉える者は少なく、ドイツに対する軍事的劣勢の解消が喫緊の課題とされた。先の大戦の経験から消耗戦を恐れ、防衛重視の戦略に傾倒したフランスは、戦闘員の不足を補う方策として、国境地帯における要塞の建設を軍事戦略の柱として位置付けた。第一次世界大戦後の一時的なフランスの[[少子化]]・人口減少も、これを推し進めた。
 
第一次大戦下の「[[塹壕戦]]」に於ける膠着した戦闘の様子は小説[[西部戦線異状なし]]に鮮明に描かれているが、最前線に[[塹壕]]を構築し、両軍がにらみ合いを続け、双方が笛の音を合図に一進一退の突撃を繰り返す、お互いに塹壕を掘っては取り合うという戦い方は、多くの兵士の命を意味もなく無駄にするだけであった。
[[西部戦線 (第一次世界大戦)|西部戦線]]は、互いの国民を大量に動員し、大量に消費しあう戦争であった。生身の人間の貧弱な防御力と兵器の絶大な攻撃力、両者のあまりのアンバランスが、約500万人の犠牲者を生み出した。戦後、西部戦線参戦国ならばどの国にも例外なく厭戦感が蔓延していた。