「トニー・ミッチェル」の版間の差分

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当たれば本塁打に出来るパワーはあったため本塁打はぼちぼち打っていたものの、同期入団で活躍していたバルデスとは対照的に開幕から不調が続き、打率が2割にも満たず、シーズン後半は二軍生活を送り、シーズン終了後に解雇された。
 
トニーの代理人はかつてダイエーにも在籍した[[ブーマー・ウェルズ]]であった。トニーとケビンが従兄弟同士ということを、球団側は本人の口から語られるまで知らなかったという。ケビンがメジャーリーグでも屈指の問題児で、ダイエー在籍時もシーズン途中の無断帰国など様々なトラブルを起こしただけに、トニーの素行にも注目が集まったが、トニーは'''球団と揉めるようなことはなかった。ただ気は荒く、2001年4月26日の対日本ハム戦では、高橋憲幸からの死球に激怒し、高橋を追いかけ、止めに入っていた[[田中幸雄]]、[[金子誠]]、[[井竜也]]、[[原田政彦]]らに暴行を働く乱闘騒ぎを起こしたとして退場処分を受けた。また2軍戦でも乱闘騒ぎを起こしている。
 
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