「国鉄C61形蒸気機関車20号機」の版間の差分
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動態復元の正式発表後、華蔵寺公園遊園地では、公園を離れることを記念し、12月下旬より運転室内の特別公開が行われた。また、当機の復元を祝う看板を用意した他、報道当時の新聞を諸元説明の隣に掲示するなど、復活への意気込みをアピールした。最終的な展示は年明けの[[2010年]]1月11日まで行われ、その後は復元準備のために当機の周囲への立ち入りを禁止する処置が施された。1月19日、3台の[[牽引自動車|トレーラー]]によって[[炭水車]]、ボイラー、主[[台枠]]および走り装置の3つに分けられた。翌20日未明より搬送され、同日の明け方までに復元工事が行われる[[大宮総合車両センター]]へ到着、21日に復元工事着工式が執り行われ、本格的な解体作業が開始された。この復元に際しては、映画「[[男はつらいよ]]」などで知られる[[山田洋次]]監督から、このC61 20の復元にまつわる作業などをドキュメンタリー映像として記録したいとの申し出があり、復元の流れに沿って映像を撮影している<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110612.pdf|title=SL「C61 20」復元工程のドキュメンタリー作品のテレビ放映について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2011-07-20}}{{Cite web|date=|url=http://www.nhk.or.jp/special/onair/110716.html|title=NHKスペシャル|復活 〜山田洋次・SLを撮る〜|publisher=日本放送協会|accessdate=2011-07-20}}</ref>。ボイラーは3月から11月までの間、[[サッパボイラ]]にて修復を実施、また動輪・車輪は[[住友金属工業]]にて整備・新造が行われた。ボイラーは保存状況がやや粗雑だったこともあり、全体の4割が腐食していたが、煙管・加熱管をすべて交換することはもちろん、蒸気ドーム自体の修繕も念入りに行われた。また、他の部品でも使用できなくなったものも点在し、新たに新規製造する部品も多かったことから、これらがのちの復元作業の進行に影響を及ぼすこととなった。
2010年12月10日には帰ってきたボイラーと整備が終わった主台枠との取り付け作業が行われた。明けて[[2011年]](平成23年)1月27日[[大安]]に、当機の火入れ式が同センター内にて行われ、これを
復元工事開始前からの歩みは、所有する高崎支社のホームページにも掲載され、「[http://www.jreast.co.jp/takasaki/sl/c6120/index.html 蒸気機関車 C6120 復元への道]」と題して紹介されている。新聞報道などでは分からなかった当機の復元過程を、事細かに写真で見ることができる。
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高崎車両センターに到着した当機は、4月8日に同センターに在籍するD51 498と顔を合わせて社内公開された。その後は「D51ばんえつ物語」の準備によりD51 498の試運転が優先され、当機の本線試運転は4月21日より開始された。しかし、試運転初日にして折り返し地点である[[水上駅]]で[[故障]]が発生、止むを得ず[[蒸気]]を解放させて火を消し、[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51]] 842に[[救援列車|救援]]させて高崎車両センターへ回送されることになった。この影響で翌日に予定された旧型客車の牽引は、DD51 888による牽引に振り替えられた。4月25日に故障から復帰し、この日同センター内に到着してから初めての報道公開を行った。翌26日より[[本線]]試運転が再開され、27日には延期されていた旧型客車を牽引しての試運転が実施された。なお、この際に山田洋次監督が機関車を使った撮影を行っており、随所に[[映画用カメラ|カメラ]]を設置した(撮影は往路のみで、水上駅で機材の取り外し作業を実施)。営業運転開始に先立ち、5月5日に水上駅で、5月7日にも高崎車両センターにてそれぞれ展示会を実施した。時間によって「はやぶさ」と「はつかり」のヘッドマークを掲出した。なお、水上駅での展示会には、「SLみなかみ」の時刻で回送運転が行われ、この際にバックアップ用としてDD51 842を連結、さらに伴車客車として旧型客車4両も連結された<ref>{{Cite web |date= 2011-05-05 |url= http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY201105060007.html |title=水上で復活SLの展示会|publisher=asahi.com 鉄道ニュース|accessdate= 2011-06-05}}</ref>。
復元作業の遅れや東日本大震災のため、当初予定されていた同年の[[ゴールデンウィーク]]以降の運行開始に代わり、復活に際しての最大の目標とされた「群馬[[デスティネーションキャンペーン]]」での運行開始に間に合わせるべく、その後も[[高崎駅|高崎]] - 水上間で本線試運転が幾度か行われた。そして、[[6月4日]]、東日本大震災からの[[復興]]を願う[[スローガン]]「がんばろう日本!」と書かれた、「はやぶさ」のヘッドマークデザインをモチーフにしたヘッドマークを掲げて、旧型客車による6両編成、472席が満席となった、9時56分高崎発水上行き「'''快速SL C61 復活号'''」を牽引し、これを
=== 営業運転開始とその後 ===
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: 復路の北上 → 一ノ関間は[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]牽引の「'''DLがんばろう岩手号'''」として運転。当機はDE10の重連の次位・逆向きに連結された。
: 旧型客車5両を牽引。<ref>{{PDFlink|[http://www.jr-morioka.com/pdf/news/pdf_1317347755_1.pdf]}}</ref>
* 2012年(平成24年)2月10
: [[2012年]]3月に内房線([[蘇我駅|蘇我]] - [[姉ケ崎駅|姉ケ崎]]間)が開業100周年を迎えるにあたり、その記念イベントとして運転された。
: 往路の木更津 → 千葉みなと間はDE10形牽引の「'''DL内房100周年記念号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
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: この区間でのSL運転は2002年(平成14年)11月のD51 498による「SLあきた路号」以来10年ぶりとなる。
: 秋田地区でのC61形運転は41年ぶりで、当機の里帰りの一つともなる。
* 2013年(平成25年)2月9
: 旧型客車6両(スタッフ用含む)を牽引
: 往路の銚子 → 佐原間はDE10形牽引の「'''DLおいでよ佐原号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
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: 旧型客車5両を牽引
: 往路の小牛田 → 仙台間はED75形牽引の「'''ELSL仙台宮城DC号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
* 2013年(平成25年)10月12
: 旧型客車6両を牽引
: 秋田デスティネーションキャンペーン(2013年10月1日 - 12月31日)のスペシャルイベントとして運転。
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: 第29回国民文化祭・あきた2014およびアフター秋田DC開催記念の目玉イベントとして運転<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20140718-1.pdf アフター秋田DC期間に「SLあきた路号」を運転します!]}}</ref>。
: 上記の2012年での運行に続いて同区間2回目の走行となる。
* 2014年(平成26年)12月5
: 12系客車4両を牽引
: 同線の全通80周年を記念して運行<ref>{{PDFlink|[http://www.jrmito.com/press/140718/20140718_press04.pdf 水郡線全線開通80周年記念「C61 SL運転」のお知らせ]}}</ref>。
: 当機の非電化区間での運行はこれが初めてとなった。
: 往路の常陸大子 → 水戸間はDE10形牽引の「'''DL奥久慈清流ライン号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
* 2015年(平成27年)5月3
: C57 180の全般検査施工により、上記期間当機が「SLばんえつ物語」の代走機として活躍。新潟 - 会津若松間を1日1往復した。
: 「SLばんえつ物語」シリーズにおいては、当機復活後初めての牽引機抜擢となる。
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===== イベント出張 =====
2018年(平成30年)10月13
旧型客車6両を牽引する。
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[[駆動輪|動輪]]のタイヤ、先輪、従輪、[[炭水車]]輪のすべてが新たに製造されている。当機の特徴である振替えられた第二先輪([[#当機の第二先輪|後述]])は、第一先輪と同じプレート輪心形に交換されることになり、見栄えの整備も行われた。外観は従前と同じプレート輪心であるが、その実は現在の[[鉄道車両]]と同様の[[一体圧延車輪]]であり、考証に沿った見栄えとするため、輪心には、先輪4箇所、従輪3箇所、炭水車輪2箇所の丸穴が開けられている。
ボイラーの最高使用圧力は、腐食の著しかったボイラーが新品に近い形で修繕され、所定の15kg/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]] (1470kpa) で使用されている(D51 498は14kg/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]] (1370kpa) )。最高運転速度は、本機のブレーキ力(積車ブレーキ率)が、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」第69条で定められる50/100に満たなかったため、本来の100km/hで運転することはできず、75km/hまでに制限した。試運転の結果では75km/hでの非常制動距離が500m以内であり、[[600m条項|規定の600m]]を十分にクリアしている。なお、東日本管内での運転限界最高速度は「SLばんえつ物語」の65km/hとしており、同列車を担当するC57 180が運行する際のダイヤを用いての運転が可能であるが、加速性が若干乏しい影響で1分から2分程度の誤差が生じる(理由は後述)。2011年8月2日に行われた信越本線(高崎 → 横川間)における試運転では、磯部 → 横川間における25[[パーミル|‰]]の急勾配区間で空転が多発し、停止寸前まで速度が落ちた。本来、横川 → 高崎間への回送を牽引する最後尾のDD51形はぶら下がりの無動力扱いのはずであったが、この事態によりディーゼル動力を使い当機の後補機となって勾配を登った。これにより、以後急勾配区間では必ず後補機を必要とすることとなった。この事態の背景には、ストーカー設置に伴って設計されていた従輪2軸配置による軸重軽減が、先述したとおりストーカー装置を撤去したため、車軸にかかる重量負担2.8t分緩和したことによって動輪粘着力低下を助長し、空転を起こしやすい状態になったものと考えられている<ref>[[交友社]]「[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]」2014年6月号P29より</ref><ref>「[[SLやまぐち号]]」の[[国鉄C57形蒸気機関車1号機|C57 1]]は5両まで単独で25‰勾配を登れるため、蒸気発生量や出力がそれより多い当機でも単独で登れると当初は見込まれていた</ref>。ただし、上越線などのような10‰程度の緩勾配路線では単機運転が可能となっている。また、条件によっては最大15‰まで単機運転で対応も可能となっている<ref>2014年(平成26年)12月5日
== 当機の第二先輪 ==
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