「国鉄C61形蒸気機関車20号機」の版間の差分

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[[File:JNR-C61 20 Hayabusa.jpg|thumb|240px|right|「はやぶさ」のヘッドマークを装着したC61 20]]
'''C61 20'''は、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)が[[大宮総合車両センター]]で[[動態保存|動態復元]]した[[蒸気機関車]] (SL) で、[[日本国有鉄道]](国鉄)が製造した[[国鉄C61形蒸気機関車|C61形蒸気機関車]]の1両である。
 
== 経歴 ==
=== 現役時代から保存まで ===
[[File:Japanese-national-railways-C61-20-20090709.jpg|thumb|240px|right|伊勢崎市で静態保存されていたC61 20]]
C61 20は、[[戦時設計|戦時形]]のためそのまま使い続けるにしても何らかの改修が必要であった[[国鉄D51形蒸気機関車|D51 1094]]の[[ボイラー]]を流用し、[[1949年]]([[昭和]]24年)8月1日に[[三菱重工業]]三原製作所にて[[製造番号]] 659として落成した。8月30日、青森機関区<ref>[[青森駅]]構内に所在する、[[日本貨物鉄道|JR貨物]]青森機関区の前身。[[青森車両センター]]も参照。</ref>に新製配置された。のちに仙台機関区<ref>[[仙台車両センター]]の前身。([[1950年]]1月18日 - )</ref>へ転属し、当時の花形特急「[[東北本線優等列車沿革|はつかり]]」や「はくつる」などの牽引を担うため長らく在籍<ref>もう一機の[[動態保存]]機である[[梅小路蒸気機関車館]]のC61 2号機とは、仙台機関区所属以降から現役終焉まで動向をともにしている</ref>するが、[[1966年]]12月14日に再び青森機関区へ戻ることとなる。5年後の[[1971年]]、[[東北本線]]や[[奥羽本線]]の[[鉄道の電化|電化]]が進み活躍の場を失った当機は、終焉の地として[[九州]]地方の[[宮崎機関区]]へと赴き、9月19日より運用開始。[[急行列車|急行]]「日南51号」から[[貨物列車]]まで様々な列車の牽引に充当され、[[1973年]](昭和48年)8月28日に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった。新製から廃車までの走行距離は286万9,889kmに及んだ。
 
廃車当時は[[SLブーム]]であったこともあり、当機は国鉄から無償譲渡され、[[群馬県]][[伊勢崎市]]の[[華蔵寺公園#華蔵寺公園遊園地|華蔵寺公園遊園地]]で[[静態保存]]されることとなった。1973年12月18日に鹿児島鉄道管理局の出水機関区([[出水駅]])を出発し、12月27日に[[高崎操車場]]へと到着。伊勢崎の地にやってきたのは年明けの[[1974年]]1月17日、その後当地で組立作業が行われ、静態保存機として展示が開始されたのは3月に入ってからのことである。
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当機は保存当初から雨除けの[[屋根]]などはかけられず、直射日光や雨、まれに雪を被るなどの何処にでもある静態保存機としての体(てい)であった。しかし、[[煙突]]に蓋がされ、時おり公園の管理者や[[ボランティア]]によって整備がなされたこともあり、外観は比較的良好な状態を保っていた。また、展示開始当初より[[操縦席|運転台]]内部への立ち入りが制限されており、そのため運転機器類の[[窃盗|盗難]]による欠品がほとんど出なかった。ただし、保存開始当初と比べると、[[前照灯]]が大形化しているなど異なる部分も見られている。
 
当機が保存されている[[群馬県]]では、[[1988年]]11月に[[国鉄D51形蒸気機関車498号機|D51 498]]が[[動態保存|動態]][[復元]]され、[[上越線]]「[[SLみなかみ|SL奥利根号]]」(のちの現在運行されている「SLみなかみ」)などとして運転が開始された。同機は[[国鉄分割民営化]]によって誕生したJR東日本のスターとして、復活当時より東日本管内各地での[[イベント]]運行のために転々とするが、年々、各地の自治体からによるSL運行の要望が多々あり、D51 498だけでは要望を満たしきれない状況が続いていた。このため、[[1998年]]に[[真岡鐵道]]が動態復元した[[国鉄C11形蒸気機関車#C11 325|C11 325]]を借り入れ、[[2001年]]より[[只見線]]「[[SL会津只見号]]」などとして[[ローカル線]]でのSLイベント出張運行に使用し、各地でのSL運行の要望に応えるようにした。しかし、C11 325は小型の[[タンク機関車]]であり、自治体からの運行機関車の要望に応えられないこともあった。なお、[[1999年]]にJR東日本が2機目のSLとして復活させた[[国鉄C57形蒸気機関車180号機|C57 180]]は、基本的に「[[SLばんえつ物語号]]」専用であり、特別な場合を除き[[東日本旅客鉄道新潟支社|新潟支社]]および[[東日本旅客鉄道仙台支社|仙台支社]]([[磐越西線]]内に限る)管轄外でのイベント運転には起用されなかった。また、東日本管内のイベント運行のうち、数回は[[秩父鉄道]]「[[パレオエクスプレス]]」として活躍する[[国鉄C58形蒸気機関車#C58 363|C58 363]]も登場したが、[[自動列車停止装置|ATS]]の関係などにより[[2001年]]からは秩父鉄道線内のみの運行になっている。
 
[[2008年]](平成20年)12月、「SL湯けむり号」として運行を控えていたD51 498が、[[小牛田運輸区]]での火入れの際に機関助士のミスによって空焚き事故を起こしてしまう<ref>{{cite web|url=http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY200812260358.html|title=デゴイチ、「空だき」で走行不能 営業運転車両ゼロに|publisher=朝日新聞|date=2008年12月27日|accessdate=2008年12月}}</ref>。約9か月間D51 498が使用できなくなったことによる様々な弊害が生じる結果を引き起こしたこの事故がきっかけとなり、JR東日本はD51 498の予備機という名目のもとで3機目となる蒸気機関車SLの動態復元に向け、SL復活プロジェクトを[[2009年]](平成21年)2月に立ち上げた。プロジェクト調査開始当初の報道では、[[碓氷峠鉄道文化むら]]に保存されているD51 96をはじめ、かつて[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)が運行していた[[国鉄C62形蒸気機関車3号機|C62 3]]なども調査リストに含まれていたが、まだ当機のことは報じられていなかった。
 
2009年6月、JR東日本は当機が復元できる可能性を秘めているとして、近く復元する方針を固めたとの報道がなされた。この時点ではJR東日本からの直接的な動態復元についての告知はなく、各報道機関への声明発表のみとされていた。そして12月、JR東日本より12月度記者会見ならびにホームページ上にて、当機の動態復元についての正式な発表が行われた<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2009/20091207.pdf 定例社長会見 C61形蒸気機関車の復元について(JR東日本 プレスリリース)]}}</ref>。この時点での復元後の当機の取り扱いとしては、まず2011年春以降を目処にD51 498の本拠地である[[高崎車両センター]]高崎支所に配置され、D51 498同等「[[SLみなかみ]]」および「SL碓氷」のメイン牽引機として年間110日程度の運行が行われる予定であることとされていた。また、D51 498が[[日本の鉄道車両検査|検査]]中の場合、あるいは「SLみなかみ」などの運行で高崎に残っている際にイベント要請があった場合、東日本管内のイベント列車牽引機として抜擢することも予定されている。当機の復元により、かねてより課題だった大型蒸機によるイベント運行に対して柔軟に対応できることや、前述のトラブルなどに際しての代走がスムーズに行えるなどのメリットが生まれている<ref>一例では、2012年1月21日に運行された「SL碓氷号」は所定D51 498牽引予定のところ、同機の不具合発見による代走の実績がある。一方、その逆も復活後最初の夏の「SLみなかみ」でも発生している。</ref>。また、既に運行されているD51形とC57形双方の構造と製造技術を兼ね備えていることもあり、整備や運転面などでの有利さも、当機が動態復元機として選ばれる理由となった。当機の復元に伴って、[[高崎車両センター]]が保有する旧型客車7両もあわせて再整備することが発表され、復活直前の2011年(平成23年)早春に第一次工事(ドアの改造・手洗いの整備)を実施・完了した。
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=== 本線試運転から営業運転開始へ ===
[[File:C61 20 minakami.jpg|thumb|240px|水上駅を出発するC61 20号機「20「快速SL C61 復活号」(2011年6月5日撮影)]]
高崎車両センターに到着した当機は、4月8日に同センターに在籍するD51 498と顔を合わせて社内公開された。その後は「D51ばんえつ物語」の準備によりD51 498の試運転が優先され、当機の本線試運転は4月21日より開始された。しかし、試運転初日にして折り返し地点である[[水上駅]]で[[故障]]が発生、止むを得ず[[蒸気]]を解放させて火を消し、[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51]] 842に[[救援列車|救援]]させて高崎車両センターへ回送されることになった。この影響で翌日に予定された旧型客車の牽引は、DD51 888による牽引に振り替えられた。4月25日に故障から復帰し、この日同センター内に到着してから初めての報道公開を行った。翌26日より[[本線]]試運転が再開され、27日には延期されていた旧型客車を牽引しての試運転が実施された。なお、この際に山田洋次監督が機関車を使った撮影を行っており、随所に[[映画用カメラ|カメラ]]を設置した(撮影は往路のみで、水上駅で機材の取り外し作業を実施)。営業運転開始に先立ち、5月5日に水上駅で、5月7日にも高崎車両センターにてそれぞれ展示会を実施した。時間によって「はやぶさ」と「はつかり」のヘッドマークを掲出した。なお、水上駅での展示会には、「SLみなかみ」の時刻で回送運転が行われ、この際にバックアップ用としてDD51 842を連結、さらに伴車客車として旧型客車4両も連結された<ref>{{Cite web |date= 2011-05-05 |url= http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY201105060007.html |title=水上で復活SLの展示会|publisher=asahi.com 鉄道ニュース|accessdate= 2011-06-05}}</ref>。
 
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: 高崎駅から上越線と[[信越本線]]が併走する区間では、[[国鉄D51形蒸気機関車498号機|D51 498]]が牽引する「'''SLググっとぐんま碓氷号'''」との同時出発ならびに併走運転を行った。
* 2011年(平成23年)9月23・25日:上越線(高崎 - 水上間)「'''SL重連レトロみなかみ号'''」
: 上記キャンペーンのファイナルイベントで、23日はD51 498と、25日は[[秩父鉄道]]所属の[[国鉄C58形蒸気機関車#C58 363号機|C58 363]]との重連運転。旧型客車6両を牽引。
: ヘッドマークは「'''SL重連みなかみ物語'''」と同じデザインが考案されていたが、装着はされなかった。
: 25日の運転では、[[イギリス]]から来訪した2人のヨーク国立鉄道博物館関係者を招き、機関士服を纏って当機に特別乗務した。
* 2011年(平成23年)11月3日:[[両毛線]]・上越線([[伊勢崎駅|伊勢崎]] → 高崎間)「'''SLいせさき号'''」<ref>{{PDFlink|[http://jres.jp/news/docs/11.08.24pursu_akirin.pdf JR東日本高崎支社 秋の臨時列車運転のお知らせ]}}</ref>
: これは当機が保存されていた[[華蔵寺公園#華蔵寺公園遊園地|華蔵寺公園遊園地]]がある[[伊勢崎市]]への里帰り・凱旋運転となる。
: 往路の高崎 → 伊勢崎間は[[国鉄EF65形電気機関車|EF65 501]]牽引の「'''ELいせさき号'''」として運転。当機は最後尾に連結された。客車は旧客車4両を使用。
: その後、列車名や運転形態および区間を年ごとに変えながら毎年11月3日に当機を使用したイベント列車が運行される。以下参照。
:* 2012年(平成24年)11月3日:[[両毛線]]([[桐生駅|桐生]] - [[高崎駅|高崎]]間)「'''SL両毛号'''」
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: [[2012年]]3月に内房線([[蘇我駅|蘇我]] - [[姉ケ崎駅|姉ケ崎]]間)が開業100周年を迎えるにあたり、その記念イベントとして運転された。
: 往路の木更津 → 千葉みなと間はDE10形牽引の「'''DL内房100周年記念号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
: 旧型客車7両(スタッフ用含む)を牽引。現在JR東日本が保有する旧型客車全車両を使用する蒸気機関車SL牽引の列車は極めてまれである。
* 2012年(平成24年)7月28・29日:東北本線([[郡山駅 (福島県)|郡山]] → [[福島駅 (福島県)|福島]]間)「'''SLふくしま復興号'''」
: 旧型客車5両を牽引
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{{Sound|C6120.kiteki.1.ogg|C61 20の汽笛の音(弱めに鳴らした場合)}}
{{Sound|C6120.kiteki.2.ogg|C61 20の汽笛の音(強めに鳴らした場合)}}
当機の外観で一番大きく変化が見られた炭水車には、D51 498などと同様に機関車の火室内に重油をバーナーで噴射して火力を高める重油併燃装置が取付けられたため、炭水車後部に[[重油]][[燃料タンク|タンク]]の取り付けが行われた。現役時代、当機には一度も重油タンクが載せられなかったことから、初めての実装となる。また、炭水車自体の水容量の確保の面から、D51 498やC57 180のように甲板内側に収まりきらず、甲板からやや上に突き出た形となった。この[[カモフラージュ]]も兼ねて、炭水車前部にはD51 498と同じく増炭板を設置して対応した。当機の外観は、[[1966年]]に青森機関区に戻ってきた頃の姿をベースとし、前照灯はD51 498やC57 180と若干異なり、大型のLP403形と小型のLP42形の中間の大きさを持つ、旧型電車で使用されていた'''LP402E形'''に交換され、前面側左手には[[シールドビーム]]式の副灯LP405形を追加、そして[[スノープラウ]]の常備化という、いわゆる'''東北形重装備'''を模した復元がなされている。ただし、[[閉塞 (鉄道)#タブレット|タブレットキャッチャー]]装備のために後方下側に移された両サイドのナンバープレートはオリジナルの位置に戻されている。なお、副灯は通常の場合、主灯との切り替えスイッチの作動によって点灯させるが、当機の場合は別[[回路]]としたため主灯との同時点灯が可能である。副灯の外枠は現役時代は青森機関区所属時代の晩年は黒色であったが、配置当初はC62 3と同様に銀色に塗られていたため、配置当初の姿に合わせた。新規製造としたスノープラウの常備化についてはD51 498同様、新たに設置された[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P形]]の車上子・機器類の保護とカモフラージュ(目隠し)の目的を兼ねたもので、現役時代に使用されたものと比較するとやや大きめである<ref>静態保存時に取り付けられていたスノープラウは仕様的に使うことはできなかった</ref>。スノープラウ後部に取り付けられている[[ステップ]](踏み板)は、静態保存時の部品を整備・再使用しており、このため「仙C6120」の刻印が現在も残されている。そのため、東北形のスノープラウは通常ステップと一体型となっているが、当機はこの配慮の関係でステップを別とし、スノープラウの角度も浅くされている。[[タービン発電機]]はATS-P装置の電源を確保するため、D51 498と同様に大形の発電機を2基搭載する姿に変わった。ただし、万が一両方ともに故障で使えなくなった場合を考慮し、高崎車両センターを出区し「SLみなかみ」の行程を終えるまでの約8時間(折り返しの際の休憩時間を除く)は運行できるように蓄電池も装備されている。前照灯を除き、標識灯・運転室内灯は[[発光ダイオード|LED]]方式に変更し、発電機への負荷を軽減している。炭水車後部連結部には、動輪の車軸の軸受の潤滑油量の影響での焼損などのトラブル防止のために軸受の潤滑油の温度を測定する油温センサーが取付けられており軸受の油温データを伝送し牽引する客車でその温度状況を管理・監視するためのジャンパ栓(KE100)が追加された。D51 498やC57 180にも同様の油温センサーとジャンパ栓が装備されている。冬季の旧型客車牽引を想定して、[[蒸気暖房 (鉄道)|蒸気暖房]]用の蒸気管も復元整備が行われ、使用が可能になっている。復活当初1年間は[[蒸気機関車の構成要素|煙室]]扉の[[ハンドル]]は現役時代同様に黒色に染めており、国内に現存する煙室扉の黒塗りハンドルの姿を持つ本線用復元大形機としては、C62 3に続き2例目となっており、またあわせて空気[[圧縮機]]などにも[[真鍮]]の飾り帯を設置せず、あくまでも現役時代の姿を可能な限りまで再現させていた。しかし復活後初めての中間検査A施工後の2012年6月、最初の営業運行となった「'''SL C61復活記念号'''」からは、煙室扉のハンドルやシリンダー排気口および点検蓋の磨き出しが行われ金色に(煙室扉ハンドルについては水上駅転車台広場に静態保存されているD51 745号機から流用)、また同時に空気圧縮機に真鍮の金帯が設置され、このためC57 180やD51 498と同様の復活蒸機の基本スタイルに変更された。ただし、営業運行開始直前の同5月に試運転を行った際、ランボードに白線を入れた特急機仕様になり、「'''あさかぜ'''」を模した試運転ヘッドマークを掲出するという特別な演出が行われている<ref>この時点ではまだ煙室扉のハンドルは黒色のままである</ref>。
 
運転室内の復元後の姿としては、[[自動給炭機]](メカニカルストーカー)が撤去され、焚き口の位置を下げたうえで、付近の運転室床も平坦にされた。これは今回の復元に際し、現在使用されている[[石炭]]の[[品質]]が良く[[熱量]]が高く、現役時代に比べて余裕のある運転のためストーカーが必須となる程の投炭量ではないこと、重油併燃を行うこと、積車ブレーキ率による制動距離を確保するための軽量化、D51 498と同等の運行技術を継承する目的、およびストーカー機器類による投炭作業性悪化の懸念、そしてストーカーそのものの腐食が激しかったため復元が極めて困難だったこと、など様々な要因が考慮されたためである。これにより、当機は現役時代のC61形とは異なる運転台環境となり、滑り止めが施されることになっている床板も、オリジナルの網目板から現在[[調達]]できる[[縞鋼板]]となった<ref>[http://www.asahi.com/travel/rail/gallery/101210sl/ 朝日新聞 C61型SL、来春復活へ向け復元進む]</ref>。現在、ストーカー本体は、大宮総合車両センター内で保存されている。このため運転室下部のストーカーエンジンも撤去となったが、その空間の穴埋めも兼ねて、上記の油温センサーの発熱状況を照査するための機器が設置された。機関士席の運転台にも変化が見られ、[[自動列車停止装置|ATS]]装置の更新が行われた。当機はD51 498と同等に運行することを目的とし、首都近郊など多くの線区で運行ができるように、現役時代に使用されてきた[[自動列車停止装置#B形(軌道電流形)・S形(地上子形)|ATS-S形]]から新形の保安装置である[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P形]]と[[自動列車停止装置#ATS-Ps形(変周地上子組合せパターン型)|ATS-Ps形]]に変更・追加装備された。ATS-P形およびATS-Ps形の表示機は加減弁左上に設置され、D51 498の設置状況と比べてATS-P形の表示機は見易い位置にされている。炭水車に積載されるATS-P形用の電源機器は、重油タンクの後部に設置しているD51 498と異なり、当機の電源機器は運転室右後ろに設置され、電源機器の管理のしやすさも考慮された。これは、当機がD51 498とは違う形式の炭水車を使っているためで、当機の炭水車はスペースに比較的余裕があったための電源配置となっている。また[[速度計]]は、このATS-P形・ATS-Ps形の新規設置に伴い、これまでの復活蒸機で使用されてきた既存の機械式速度計から、[[日本の電気機関車一覧#国鉄の電気機関車一覧|国鉄形電気機関車]]の速度計を模した電気式速度計に変更した。日本の蒸気機関車SLで速度計そのものの種類を一新したのは当機が初めてである<ref>これ以降、ATS-Ps形が装備されている機関車のすべてが電気式速度計に変更され、C57 180が2011年の中間検査Bで、また同僚となるD51 498も2013年の全般検査出場時に順次載せ換えが行われている。</ref>。さらにATS-Ps形用の速度検知もテンダー台車に設置されたが、機械式速度計用の従台車回転棒は、見栄え用のダミーとして撤去されずに残された。[[列車防護無線装置|防護無線装置]]は復元当初より[[列車無線#JR在来線における方式の違い|デジタル無線]]を導入しており、D51 498同様前述の重油タンクにアンテナを設置している。ボイラーの水面計は、視認性と安全性を高めた新型の水面計に振り替えられている。
 
[[駆動輪|動輪]]のタイヤ、先輪、従輪、[[炭水車]]輪のすべてが新たに製造されている。当機の特徴である振替えられた第二先輪([[#当機の第二先輪|後述]])は、第一先輪と同じプレート輪心形に交換されることになり、見栄えの整備も行われた。外観は従前と同じプレート輪心であるが、その実は現在の[[鉄道車両]]と同様の[[一体圧延車輪]]であり、考証に沿った見栄えとするため、輪心には、先輪4箇所、従輪3箇所、炭水車輪2箇所の丸穴が開けられている。
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== 当機の第二先輪 ==
今回の動態復元により当機の第二先輪はプレート形に交換され、特徴的な2つの異なる先輪を持つ当機としての復元はなされないが、それ以前までは第二先輪は、[[国鉄C59形蒸気機関車|C59]][[戦前]]形と同様の丸穴ウエップ<ref>水掻き付きとも呼ばれる、放射状の補強[[リブ]]の間に軽め穴を持つ輪心形状。</ref>付のものとなっていた。当機が仙台機関区在籍時代の1963年ごろに、僚機のC61 15が深い[[焼きつき|軸焼け]]を起こし、折しも[[郡山総合車両センター|郡山工場]]に入場中だった当機の第二先輪と交換することでC61 15の運用復帰を果たした。第二先輪を失った当機については、廃車となった[[国鉄C59形蒸気機関車|C59形]]から流用することとなり、この先輪を用いて郡山工場を出場したとされる。さらに[[1969年]]の[[秋田総合車両センター|土崎工場]]での全般検査では、先に廃車となった[[国鉄C60形蒸気機関車|C60 9]] 9(元C59 46)が装着していた第二先輪と交換され、二度にわたって振り替えが行われていることが明らかとなっている<ref>[http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/02/6.html RAIL MAGAZINE 編集長敬白 C61 20 先輪振り替えの謎。]</ref>。この度の動態復元で交換されるまでの間、静態保存時を含め、長い期間、C60 9から流用された丸穴ウェップ付き先輪を装備していた。なお、動態復元の際に交換された先輪は、大宮総合車両センター内で保存されている。
 
== 脚注 ==