「ドク・ウマロフ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
解消済み仮リンク アリアシャブ・ケベコフ の内部リンク化
編集の要約なし
13行目:
| term_start2= 2006年6月17日
| term_end2= 2007年10月31日
| predecessor2=[[アブド・ハリム|アブドル・ハリム・サドゥラエフ]]
| birth_date={{生年月日と年齢|1964|4|13|no}}
| birth_place=[[Image:Flag of Chechen-Ingush ASSR 1978.svg|20px]] [[チェチェン・イングーシ共和国]]
37行目:
2004年3月、死亡した野戦指揮官の[[ルスラン・ゲラエフ]]の後継者と自ら宣言し彼の部隊を支配下に置いた。同年8月にマスハドフにより国家保安相に任命される。
 
2005年6月16日、[[アブドハリ・サドゥラエフ]]第4代大統領により、国家保安相の地位を維持したまま、副大統領に任命された。
 
2006年6月17日、ロシア当局によるアブドハリム殺害後、法の規定に従い第5代チェチェン・イチケリア共和国大統領に就任した。大統領就任後にチェチェン・イチケリア共和国軍ウラル戦線(指揮官:アミール・アサドゥラ)と沿ヴォルガ戦線(指揮官:アミール・ジュンドラ)を創設した。
 
2007年、[[北カフカース]]の広域を[[領土]]とする'''[[カフカース首長国]]'''の創設と自身の[[アミール]](首長)への就任を一方的に宣言し、チェチェンをその一地方(ウィラーヤ)である「Noxçiyçö-Içkeriya」へと改称した。カフカース首長国はロシア連邦からのチェチェンの独立に加えて、北カフカースでの[[イスラム国家]]の建設を目指しており、従来のチェチェン・イチケリア共和国に較べて[[イスラム原理主義]]的性格が強い[[イスラム過激派]]勢力である。なお、チェチェン・イチケリア共和国の中には彼に従わず穏健な政治活動により独立を目指す[[イギリス]]に[[亡命]]中のアフメド・ザカエフのような者もおり、ザカエフはウマロフの共和国脱退後にチェチェン・イチケリア共和国首相に就任している。
56行目:
<references/>
 
{{先代次代|[[チェチェン・イチケリア共和国大統領|チェチェン独立派の大統領]]|[[2006年]] - 2007年 |[[アブド・ハリム|アブドル・ハリム・サドゥラエフ]]|廃止}}
{{先代次代|カフカース首長国の首長|[[2007年]] - [[2014年]]|初代|[[アリアシャブ・ケベコフ]]}}
 
{{チェチェンの指導者}}
 
{{DEFAULTSORT:うまろふ とく}}
[[Category:チェチェン・イチケリア共和国の人物]]