「ノート:新三河鉄道」の版間の差分

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: これは手元に残る資料のコピーからですが、『なごや市電整備史』18頁に16~19号の車両竣工図表があるのですが定員が42人になっています。二重屋根・オープンデッキ車両なものの前照灯の位置が下がってないので新三河鉄道のものとは違うものに見えます。図表の備考欄、製造所名に名古屋市電気局工場とあるものの製造年月・前所有者名・旧番号・記事欄は全部空欄。一方、『名古屋を走って77年』184-185頁の「車両諸元表」の16~19号の欄は数値が一致するので前記車両竣工図表と同じ車両を指すと思われますが、これには1942年3月電気局製と書いてあります。
: どこかの本に戦後撮影された16~19号のうちの1両の写真があったはずですが、新三河鉄道時代と比べると別の車両だなと思った記憶があります(曖昧ですいません)。車号そのままで車体を振り替えているのでは、と思うものの資料見つけてないです。--[[利用者:継之助|継之助]]([[利用者‐会話:継之助|会話]]) 2018年8月28日 (火) 11:42 (UTC)
:: ありがとうございます。調べましたところ「定員46人が1941年度の「4」から1942年度に「0」」の表は「市営五十年史」ではなく「市営三十年史」にありました。戦後の写真は見たことがありませんが、車両が変わった理由として鉄道ジャーナル「名古屋市電の変遷」には「14年(17年ハテナマーク)LSA型鋼体化による余剰車体(42人乗り)と車体と振り替えた」とあります。
:: もっともLSA型鋼体化工事が14年度に完了しているため、「名古屋を走って77年」諸元表にある1942年とずれていること。竣工図に改造記録がないことなどから「名古屋市電の変遷」の記述にも疑問は残りますので戦後の車両が新三河鉄道の車両だったのかは謎ですね--[[利用者:Tamrono157|Tamrono157]]([[利用者‐会話:Tamrono157|会話]]) 2018年9月1日 (土) 04:09 (UTC)