「関東大震災」の版間の差分

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== 地震の混乱で発生した事件 ==
===司法・法制の動き===
{{see|#治安維持緊急勅令の発布|#戒厳令発布}}
[[ファイル:Japan_LAJ_(1923_Great_Kantō_earthquake_report).pdf|thumb|255px|各地裁判所及び刑務所の処置を報告する法曹会雑誌(10月)]]
[[司法省]]及び[[法曹会]]の下で、受刑者を一時解放した刑務所もあった。横浜刑務所では受刑者を名古屋へ移送することが9月7日になって決まり、同日に貼り紙による告知が行われたものの、解放された受刑者821名のうち、翌日早朝の期限までに戻ってきた受刑者は565名のみだった。
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[[File:関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団2.jpg|thumb|255px|政府による記事差し止めが解除されたことを受けて事件の詳細を報じる10月22日付[[東京時事新報]]<ref name="tokyoujiji19231022a">[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%B8%80%E5%B8%AF%E3%82%92%E9%A8%92%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%9A%B4%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%8C_%E6%94%BE%E7%81%AB%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E6%8E%A0%E5%A5%AA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%8E%E6%A9%8B%E6%A2%81%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%82%82%E4%BC%81%E3%81%A6%E3%81%9F%E4%B8%8D%E9%80%9E%E5%9B%A31.jpg 『関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ:放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団(記事差止め昨日解除)』その1] [[東京時事新報]]1923.10.22</ref>]]
9月2日午後11時、[[下江戸川橋]]を破壊中の朝鮮人を警備中の騎兵が射殺<ref name=tokyoujiji19231022b>[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%B8%80%E5%B8%AF%E3%82%92%E9%A8%92%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%9A%B4%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%8C_%E6%94%BE%E7%81%AB%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E6%8E%A0%E5%A5%AA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%8E%E6%A9%8B%E6%A2%81%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%82%82%E4%BC%81%E3%81%A6%E3%81%9F%E4%B8%8D%E9%80%9E%E5%9B%A32.jpg 『関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団(記事差し止め昨日解除)』その2] [[東京時事新報]]1923.10.22</ref>。9月2日午後11時、南葛飾郡でこん棒などで武装した30人の朝鮮人が砲兵第七連隊第一中隊長代理砲兵中尉高橋克己のオートバイを包囲したが中尉は脱出に成功した<ref name=tokyoujiji19231022b/>。
 
* 9月3日 [[甘粕事件]](大杉事件、当事者は憲兵隊)、東京地方裁判所管
* 9月6日 [[福田村事件]](当事者は自警団)、千葉地方裁判所管
* 9月7日 『[[:s:治安維持ノ爲ニスル罰則ニ關スル件|治安維持ノ爲ニスル罰則ニ關スル件]]』(勅令第403号)が発布。
* 9月16日 [[亀戸事件]](当事者は警察署と自警団)、東京地方裁判所管
* {{要出典|[[佐原事件]]|date=2017年9月}}
 
===軍活動===
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[[甘粕事件]](大杉事件)では、[[大杉栄]]・[[伊藤野枝]]・大杉の6歳の甥[[橘宗一]]らが[[憲兵隊]]に殺害され<ref>[[#正午二分前]]252-253頁</ref>)、[[亀戸事件]]では労働運動の指導者[[平澤計七]]ら13人が亀戸警察署で、[[近衛師団]]に属する[[騎兵第1旅団 (日本軍)|習志野騎兵第13連隊]]に銃殺され、平澤が斬首された。
 
* 9月3日 [[甘粕事件]](大杉事件)、東京地方裁判所管
* 9月6日 [[福田村事件]]、千葉地方裁判所管
* 9月7日 『[[:s:治安維持ノ爲ニスル罰則ニ關スル件|治安維持ノ爲ニスル罰則ニ關スル件]]』(勅令第403号)が発布。
* 9月16日 [[亀戸事件]]、東京地方裁判所管
* {{要出典|[[佐原事件]]|date=2017年9月}}
=== 震災後の殺傷事件 ===
{{see also|本庄事件 (1923年)}}
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}}</ref>。
{{-}}
 
===紙幣の焼失===
[[日本銀行]]本店は火災を蒙ったが、銀行券は8.5%が損傷したのみに留まった{{sfn|植村峻|2015|p=136}}。ただ当時の唯一の紙幣印刷工場であった東京市大手町の印刷局([[内閣]]の外局)は、証券印刷部や工場、約730台の機械設備、銀行券原版、製造中や製造完了の銀行券はほぼ焼失し、東京市王子の印刷局抄紙部も建物が全面倒壊した。9月下旬の[[大阪時事新報]]によれば、印刷局の焼け跡では奇跡的に1円、5円、10円、20円、100円の原版が無傷で発見され、[[日本銀行]]の金庫に保管された。
 
そこで当初は緊急紙幣の発行は行われなかったが、10月中旬に一部の銀行で預金の払出しが相次いだため、日本銀行は11月6日に[[大蔵大臣]]に対し、未発行の高額紙幣「甲200円券」の発行申請を行い、大阪の証券印刷会社である[[昌栄印刷|昌栄堂印刷所]]が下請工場として製造を開始した。しかし年末にはそれほど需要がないことが判明し、甲200円券は発行中止となり、1926年に全て焼却処分となった。
 
== 復興 ==
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[[山本権兵衛]]首相を総裁とした「帝都復興審議会」を創設する事で大きな復興計画が動いた。江戸時代以来の東京市街地の大改造を行い、道路拡張や区画整理など[[インフラストラクチャー|インフラ]]整備も大きく進んだ。公共交通機関が破壊され自動車の交通機関としての価値が認識されたことにより1923年(大正12年)に1万2765台だった自動車保有台数が震災後激増、1924年(大正13年)には2万4333台<ref>『外国車ガイドブック1991』p.196</ref>、1926年(大正15年)には4万0070台となっていた<ref>『外国車ガイドブック1980』p.44</ref>。[[1929年]]の[[世界恐慌]]など逆風が続く中、その後も漸増した。
 
その一方で、[[第一次世界大戦]]終結後の[[不況]]下にあった日本経済にとっては、[[震災手形]]問題や復興資材の輸入超過問題などが生じた結果、経済の閉塞感がいっそう深刻化し、後の[[昭和恐慌]]に至る長い景気低迷期に入った。震災直後の7日には[[緊急勅令]]による[[モラトリアム]]が出され、29日に至って震災手形割引損失補償令が出されて震災手形による損失を政府が補償する体制が採られたが、その過程で戦後恐慌に伴う[[不良債権]]までもが同様に補償され、これらの処理がこじれ、1927年には[[昭和金融恐慌]]を起こすことになる。
 
震災復興事業として作られた代表的な建築物には[[同潤会アパート]]、[[聖橋]]、[[復興小学校]]、[[復興道路 (関東大震災)|復興道路]]、[[震災復興公園|復興公園]]、[[震災復興橋]]([[隅田川]])、[[九段下ビル]]などがある。また復興のシンボルとして震災前は海だった所に瓦礫により埋め立てられ[[山下公園]]が作られ、1935年には復興記念横浜大博覧会でメイン会場となった。同公園内には1939年にインド商組合から市に寄贈された水飲み場([[インド水塔]])が設置されているが、これは在留[[インド]]人の事業復活のため低利融資や商館再建などに尽力した横浜市民らへのお礼として寄贈されたものである。現在この水飲み場は使用されていないが、[[イスラーム]]の[[モスク]]を思わせる屋根をした建造物が今も残されている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFB1603O_X20C13A8000000/?df=3 せき止め湖・壁の亀裂…神奈川、関東大震災のつめ跡] 日経新聞 2013/8/31 6:30</ref>。
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*{{Citation|和書|editor=[[井上謙 (日本文学者)|井上謙]]|date=1994-08|title=新潮日本文学アルバム43 [[横光利一]]|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-620647-4|ref={{Harvid|アルバム横光|1994}}}}
*{{Citation|和書|editor=[[小久保実]]|date=1984-01|title=新潮日本文学アルバム17 [[堀辰雄]]|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-620617-7|ref={{Harvid|アルバム堀|1984}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[植村峻]]| translator=| title=紙幣肖像の近現代史| publisher=[[吉川弘文館]]| location =| year=2015| isbn=| ref=harv}}
; 関連文献
*{{Google books|XiyuFPFpBykC|東京震災録 前輯(東京市役所、昭和2(1927)年)|page=|plainurl=}}