「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の版間の差分

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→‎テンシュテット時代(1983年 - 1987年): 「指揮台に登る」→「指揮台に立つ」
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テンシュテットはその後も闘病生活を続け、体調が良いときにはロンドン・フィルやベルリン・フィルにも客演した。[[1988年]]の日本公演では来日して指揮できるかが危ぶまれたが、無事指揮台に立ち、マーラー、そして[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の素晴らしい演奏を日本の音楽ファンに聴かせた。
 
1993年にマーラーの[[交響曲第7番 (マーラー)|交響曲第7番『夜の歌』]]を指揮したのを最後に、テンシュテットはロンドン・フィルの指揮台に登る立つことはなかった。が、1998年に彼が亡くなるまで、ファンも楽団員も彼がロンドン・フィルの指揮台に帰ってくることを望んでいた。
 
=== ウェルザー=メスト時代(1990年 - 1995年) ===