「白河の関」の版間の差分

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'''白河の関'''(しらかわのせき)は、[[鼠ヶ関]](ねずがせき)・[[勿来関]](なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられる[[関所]]である。都から[[陸奥国]]に通じる[[東山道]]の要衝に設けられた関門として史上名高い。
 
4~5世紀ころ蝦夷の侵入を防ぐ関として設置されたが、奈良時代になると[[蝦夷]]との境界線は多賀城をこえ仙台地方以北にまで達し、奈良時代を下るにつれて白河の関の役割も弱まっていった。平安時代はじめころになると、白河関(しらかわのせき)も有名無実となり通行規制もなく[[俘囚]](蝦夷の服属したもの)の出入りや不正商品の通過も自由な状態になっていた。[[承和]]2年([[835年]])(太政官符『[[類聚三代格]]』)<ref>「福島県の歴史」『県史シリーズ7』小林清治、山田舜共著 山川出版社、1970年。</ref>、[[陸奥国司]]はその現状を太政官に訴え、その出入りの検問を長門国の[[赤間関]](あかまがせき)と同様に取り締まることを願い許されている。(「福島県の歴史」『県史シリーズ7』小林清治、山田舜共著 山川出版社、1970年 より)
 
[[福島県]][[白河市]]旗宿がその[[遺構]]として認定されており、国の[[史跡]]に指定されている。