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戸塚宏氏は、メディアの取材を受けたこともあり、単なる一般人とは言い難い。戸塚宏 (会話) による ID:69827027 の版を取り消し
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戸塚宏 (会話 | 投稿記録)
ページの置換: 「戸塚宏は事務所などに所属をしていない私人で一般人です。 また本人はwikipediaの登録を許諾しておりません。 虚…」
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戸塚宏は事務所などに所属をしていない私人で一般人です。
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{{複数の問題
| 特筆性 = 2017年11月 | 分野 = 人物
| 存命人物の出典明記 = 2015年8月
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{{Infobox 人物
|氏名 = 戸塚 宏
|ふりがな = とつか ひろし
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'''戸塚 宏'''(とつか ひろし、[[1940年]][[9月6日]] - )は、[[日本]]の[[教育者|教育家]]で、[[フリースクール]]「[[戸塚ヨットスクール]]」の校長(法人登記上は[[代表取締役]])である。生徒への[[体罰]]によって死者を出した[[戸塚ヨットスクール事件]]を引き起こした。1975年に世界記録を出した[[ヨットマン]]。
 
また本人はwikipediaの登録を許諾しておりません。
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下の朝鮮]][[咸鏡北道]][[清津市]]生まれ、[[愛知県]][[名古屋市]]育ち。[[名古屋市立菊里高等学校]]卒。
 
虚偽の記載もあり非常に迷惑しております。
[[1959年]]、[[名古屋大学]][[工学部]][[機械工学]]科入学。在学中に[[ヨット]]に出会う。
 
早急に項目の削除をお願いいたします。
[[1975年]]、[[沖縄国際海洋博覧会]]記念[[太平洋]]横断レースで、シングルハンド(一人乗りヨット)による太平洋横断の最短世界記録(41日)を達成して優勝した。
 
=== 戸塚ヨットスクールと事件 ===
[[1976年]]、[[株式会社]][[戸塚ヨットスクール]]開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃[[不登校]]などの[[情緒障害児]]の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の[[治療]]を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した[[上之郷利昭]]が著した『[[スパルタの海]]』(支援者である[[伊東四朗]]主演で映画化されたが戸塚の逮捕によりお蔵入り、出獄後の2005年支援者によりDVD化、2011年に劇場公開された)では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名(2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のまま[[みなし死亡]])を出す。
 
[[1983年]][[6月13日]]、[[戸塚ヨットスクール事件]]が発覚、コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で[[逮捕]]。
 
[[1986年]]7月、[[保釈]]される。[[早稲田祭]]で人物研究会の招きにより講演。以後も[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[EXテレビ]]」など各種メディアに登場、[[脳幹]]を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できるという趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する。
 
[[1992年]][[7月7日]]、名古屋地裁は戸塚宏とコーチ6名に対して傷害致死罪で執行猶予付きの有罪判決、検察被告とも控訴。
 
[[1997年]][[3月12日]]、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。
 
[[1999年]]、「[[電磁界等を考えるシンポジウム京都会議]]」に、発起人の一人として名を連ねる。
 
[[2002年]][[2月15日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[上告]]を[[棄却]]。
 
2002年[[3月11日]]、無罪を主張するが退けられ[[懲役]]6年の刑が確定。「[[教育]]か、[[暴力]]か」が争点となったが、自身を含む15人全員の有罪が確定した。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。
 
2002年[[3月29日]]、名古屋高等検察庁へ出頭。出頭直後、[[護送車]]で名古屋から静岡に護送され[[静岡刑務所]]に収監される(懲役6年だが、未決勾留日数の一部を刑に算入されている為、実際の刑期は4年間)。
 
=== 出所後 ===
[[2006年]][[4月29日]]、静岡刑務所を満期出所。出所後、戸塚は静岡市内で報道陣から「お帰りなさい、スクールはまだ続けますか」との問いかけに対し「まだまだ続けていく」と回答した。その後も、[[戸塚ヨットスクール#復帰後の事件|戸塚ヨットスクール訓練生の事件]]が続いている。
 
== 人物像 ==
「脳幹論」を基礎にした[[スパルタ教育]]が持論。ただし、[[脳科学|脳科学者]]や[[医学博士]]ではない。
 
刑期を終え出所した後も基本的にその立場を変えていない。収監前の記者会見では「出所後は[[私立小学校]]を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。
 
出所後、静岡刑務所内での処遇を著した自著の中で、「法の概念から外れたとんでもないことをやっている」「憲法に反する人権侵害」「刑務官によって自殺に追い込まれた受刑者がいる」などと述べている。
 
反「戸塚ヨットスクール」キャンペーンの先頭に立った『[[サンデー毎日]]』(逮捕を報じた号では[[手錠]]をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)を発行する[[毎日新聞社]]の対応を良く思っておらず、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、[[毎日新聞]]は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「[[体罰]]は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。
 
[[儒学]]等を思想的根拠として所謂「[[嫌韓]]」を主張し、[[在日韓国・朝鮮人]]の[[特別永住者]]に対する[[排外主義]]活動を行っており、[[義家弘介]]と激しく対立する。
 
== 著書 ==
* [[1976年]] - 『太平洋一直線』[[オーシャンライフ]] オーシャンブックス
* [[1983年]] - 『私が直す!』[[飛鳥新社]]
: 1985年11月に[[角川書店]]で文庫化 ISBN 4-04-162001-5
* 1983年1月 - 『孤独の挑戦』[[ズーム社]] Zoom Books ISBN 4-8033-0758-X
* 1983年1月 - 『私はこの子たちを救いたい - "殴らない父"と"愛しすぎる母"へ』[[光文社]] カッパビジネス ISBN 4-334-01150-0
* 1985年11月 - 『獄中記』飛鳥新社 ISBN 4-87031-020-1([http://totsuka-yacht.com/goku.htm]にて閲覧可能)
* [[1988年]]6月 - 『敵は脳幹にあり』[[アポロ出版]] ISBN 4-87454-702-8
* [[1992年]]7月 - 『こんな輩が子供をダメにする - 偽善を排す異論・暴論63』[[太陽企画出版]] ISBN 4-88466-205-9
* 1992年8月 - 『熱論戸塚宏 - 反平等主義論』[[フローラル出版]] ISBN 4-930831-04-0
* [[2003年]]4月 - 『教育再生 - これで子供は救われる』[[大洋図書]] ISBN 4-8130-1074-1
* [[2006年]]11月 - 『静岡刑務所の三悪人』[[飛鳥新社]] ISBN 4-87031-763-X
* [[2007年]]4月 - 新潮新書212『本能の力』[[新潮社]] ISBN 978-4-10-610212-7
 
== 著名な支援者・理解者 ==
戸塚の教育方針を肯定したり、理解を示したり、スクールを支援する著名人を記す。
* [[石原慎太郎]](政治家) - 戸塚ヨットスクールを支援する会会長。本人もヨット愛好者である
* [[西村眞悟]](政治家) - 戸塚ヨットスクールを支援する会発起人
* [[小室直樹]](評論家、東京大学法学博士)<ref>小室直樹文献目録 - 「小室直樹センセイ“戸塚ヨットスクール賛歌”の激烈」 [[週刊大衆]] 1983年9月12日号 P.34-35</ref>
* [[村松剛]](評論家・フランス文学者、筑波大学名誉教授)<ref name="official1">{{cite web |url=http://totsuka-yacht.com/wind1.htm |title=『石原慎太郎氏、堀本和博氏、立川談志氏、村松剛氏らが戸塚ヨットを支援』 |accessdate=2013年7月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160424063851/http://totsuka-yacht.com/wind1.htm |archivedate=2016年4月24日 }} - 「戸塚ヨットスクールを支援する会」会報『ういんど』創刊号 1988年9月1日発行 2013年7月1日閲覧</ref>
* [[立川談志]]([[落語家]])<ref name="official1" />
* [[伊東四朗]]([[俳優]])
* [[岡田武史]](元[[サッカー日本代表]]監督)<ref>[[朝日新聞]] - [http://www.asahi.com/worldcup/column/theroad/TKY201004200196.html 『対談 岡田監督×香山リカ 無心の感覚求めて』] 2010年4月20日 2014年8月15日閲覧</ref>
* [[田母神俊雄]](元[[航空幕僚長]])<ref>書籍『それでも、体罰は必要だ!』(ISBN 4898316247)で対談</ref>
* [[野口健]]([[登山家]])<ref>アルピニスト・野口健のブログ : [http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51103093.html 戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談] 2008年8月3日 2017年4月29日閲覧</ref>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[長田百合子]]
* [[杉浦昌子]]
* [[風の子学園事件]]
* [[不動塾事件]]
* [[時津風部屋力士暴行死事件]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.totsuka-school.jp/ 戸塚ヨットスクール]
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:とつか ひろし}}
[[Category:日本の教育者]]
[[Category:日本のヨット選手]]
[[Category:冒険者]]
[[Category:名古屋大学出身の人物]]
[[Category:清津市出身の人物]]
[[Category:1940年生]]
[[Category:存命人物]]