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差分

重大事件が起きると官邸内にある小食堂が“危機管理センター”に使われた。現在の官邸には専門の「危機管理室」が設置されている。
 
1階の西階段は[[組閣]]時に閣僚が記念撮影をする場所として広く知られた。1993年、約40年ぶりの[[政権交代]]で官邸の主となった[[細川護熙]]は、[[自民党]][[政権]]の牙城だったこの総理官邸にさまざまな新風を持ち込んだ。組閣後の閣僚記念撮影では恒例の1階西階段の赤絨毯には見向きもせず、中庭の芝生の上で新閣僚がワイングラスを片手に懇談後、閣僚を生け垣の前に並ばせて記念撮影を行った<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/79.html 第79代内閣こと「細川内閣」] 首相官邸公式サイト</ref>。総理執務室では壁が殺風景だとして、壁紙を隅から隅まで貼りかえさせてもいる。内閣総理大臣や[[内閣官房長官]]の[[記者会見]]を、演台の後方に立ったまま[[プロンプター (電気機器)|プロンプター]]を使って行う欧米式に切り替えたのも細川だった。
 
[[東條英機]]在任中は、ラジオ演説を行うための部屋があった。[[太平洋戦争]][[大東亜戦争|(大東亜戦争)]]開戦時の演説もここで行われたと言われている。戦争中には総理らが官邸を脱出するための地下トンネルがあった。[[安保闘争#60年安保|60年安保]]で官邸がデモ隊に包囲されたとき、[[岸信介]]はこのトンネルから脱出したと、[[戸川猪佐武]]の『[[小説吉田学校]]』には書かれている。一部には掘り替えまでして残されていたという説もあったが、実際には[[高度経済成長|高度成長期]]の[[帝都高速度交通営団|地下鉄]]工事や周辺の[[都市再開発]]で取り壊されていたという。
 
他の役所と違って室名表示がなかったことや、官邸内が迷路のような構造になっていた為、歴代の内閣総理大臣が官邸で迷うことがしばしあった。