「ホツマツタヱ」の版間の差分

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| 脚注の不足 = 2017年11月
| 参照方法 = 2017年11月
| wikify = 2018年9月
| 大言壮語 = 2018年9月
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『'''ホツマツタヱ'''』は、「[[ヲシテ]]」なる「文字」(いわゆる「[[神代文字]]」の一つである)を使っているいわゆる「[[ヲシテ文献]]」のひとつ学会、学界、学者からは偽書とされている)。[[五七調|しかし一方で]]『古事記』『日本書紀』の原書であると、現代研究の成果からの報告する考え存在す<ref>『定本ホツマツタヱ』(池田満、展望社)、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)</ref>
 
[[五七調]]の長歌体で記され、全40アヤ(章)10700行余で構成された、研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「[[古史古伝]]」のひとつである。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、[[江戸時代]]中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による<ref name="husen" >1780年([[安永]]9年)。溥泉(ふせん)『春日山紀』・序文「是れ時、安永庚子歳二月吉日」龍谷大学・大宮図書館蔵。 『ホツマツタヱ』自体の成立時期については、自序などからは、1~28アヤはクシミカタマの最終編纂(アスス50年)。29アヤ~40アヤはオオタタネコの最終編纂(アスス843年)。</ref>(『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『[[国書総目録]]』に記載あり)。
 
2018年3月にはTwitterで『[https://twitter.com/HotsumaGishoBot ホツマツタヱ偽書bot]』が始動した。
 
== 概要 ==
'''ホツマツタヱ'''(ほつまつたゑ)は、[[ヲシテ]]によって[[五七調]]の[[長歌]]体で記され、全40アヤ(章)で構成された古典である。その成立時期は不詳であるが、少なくとも[[江戸時代]]中期にまで遡ることが可能である<ref name="husen">1780年([[安永]]9年)。溥泉(ふせん)『春日山紀』・序文「是れ時、安永庚子歳二月吉日」龍谷大学・大宮図書館蔵。 『ホツマツタヱ』自体の成立時期については、自序などからは、1~28アヤはクシミカタマの最終編纂(アスス50年)。29アヤ~40アヤはオオタタネコの最終編纂(アスス843年)。</ref>。安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。
 
文献全体の包括的な[[史料批判]]は、池田満によって『定本ホツマツタヱ』(展望社)が上梓されて、『古事記』『日本書紀』との原文の内容比較がなされている。また、『日本書紀』『古事記』との、内容比較においてどう判断してゆくかは、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)によって公表されている。また、『ホツマツタヱ』などの内容についての総合的な解説は『ホツマ辞典』(池田満、展望社)によって、年表や、系図も付録されて詳しく公表されている。