「春日虎綱」の版間の差分

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| 主君 = [[武田信玄]]→[[武田勝頼|勝頼]]
| 氏族 = [[春日氏]]、[[香坂氏]]([[高坂氏]])
| 父母 = 父:[[春日大]]、養父:''[[香坂宗重]]''
| 兄弟 = [[春日熊麿|熊麿]]、'''虎綱(高坂昌信)'''
| 妻 = 正室:'''香坂宗重の娘'''
 
== 虎綱の子孫と『甲陽軍鑑』 ==
春日氏は次男信達が継承し海津城代も務めるが、[[天正]]10年([[1582年]])3月の武田氏滅亡後は[[森長可]]の支配を受ける。同年6月の[[本能寺の変]]後、信達は[[美濃国|美濃]]に撤退する長可を妨害し、[[越後国|越後]]の[[上杉景勝]]に属したが、[[7月13日]]、北信での自立を画策する武田遺臣の[[真田昌幸]]や[[北条氏直]]らと内通したことが発覚し、激怒した景勝によって誅殺され、これにより高坂氏嫡流は滅亡した。さらに[[慶長]]5年([[1600年]])3月、初代[[川中島藩]]主として北[[信濃国|信濃]]に入った長可の弟、[[森忠政]]によって信濃に残っていた信達の一族は残らず探し出され18年前に長可の信濃撤退を妨害した罪で一族全員が磔刑に処された(森家先代実録)。
 
近世には[[町年寄#甲府町年寄|甲府町年寄]]の山本金右衛門([[春日昌預]]、[[1751年]][[3月17日]]([[寛延]]4年) - [[1836年]]([[天保]]7年))は[[甲府城]]下の大店若松屋を営む加藤家の出自で、加藤家は虎綱の子孫を称している。
 
虎綱の活躍をはじめ信玄・勝頼期の事績を記している『[[甲陽軍鑑]]』は江戸時代の元和年間に成立した軍学書で、『軍鑑』自身の奥書によれば原本は虎綱の口述記録で、長篠合戦の後に武田氏の行く末を危惧した虎綱が勝頼や重臣の[[跡部勝資]]・[[長坂光堅]]らに対する「諫言の書」として記したという。
虎綱の死後も甥の[[春日惣次郎|惣次郎]]と家臣大蔵彦十郎が執筆を継続し、虎綱の海津城代時代の部下である[[小幡昌盛]]の子[[小幡景憲|景憲]]がこれを入手し、完成させたという<ref>『甲陽軍鑑』には文書上確認されない人物名や合戦、年紀の誤り等基本的事実の混同が頻出するため史料的価値や虎綱が原本を口述したとすることも疑問視する指摘もあるが、近年は国学的検討により再び性格をめぐり議論が行われている</ref>。
 
== 関連作品 ==
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