「ヤマハ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎混迷・低迷から再構築へ: 日本語としておかしい表現の修正 膨らみ上がる → 膨れ上がる
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
95行目:
終戦2か月後の[[1945年]](昭和20年)10月に[[ハーモニカ]]、[[シロフォン]]の製造を再開し、[[1947年]](昭和22年)4月にピアノの製造を再開した。[[1949年]](昭和24年)5月に[[東京証券取引所]]第1部に[[上場]]する。
 
[[1950年]](昭和25年)に嘉市の息子である[[川上源一]]が38歳で第4代社長に就任する。源一は伝統の楽器事業を充実させ、社有の技術を応用して経営の多角化を図り、戦後の経済復興とともに音楽を手始めに生活に彩りを加えることを目指した。源一のかけ声は「日本にエピキュロス<ref group="注釈">[[古代ギリシア]]の[[エピクロス主義]]に由来する言葉であり、直訳では「快楽主義(者)」となるが趣旨としては余暇を楽しむ思想をもとうという意味であろう。</ref>を」であった。
 
[[ファイル:YAMAHA Electone D-1.jpg|thumb|upright|浜松市楽器博物館で展示されているYAMAHA Electone D-1]]