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'''神秀'''(じんしゅう、[[606年]]([[大業]]2年) - [[706年]]([[神龍 (唐)|神龍]]2年))は、[[汴州]][[尉氏県]]([[河南省]][[開封市]][[尉氏県]])出身で俗姓は李。[[中国]][[禅宗]]における'''六祖'''([[北宗]]としては開祖)。
 
== 生涯 ==
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*[[674年]]([[上元 (唐高宗)|上元]]元年)、師の弘忍が没する。
*[[676年]]([[儀鳳]]元年)頃、荊州当陽山の玉泉寺に住し、その後、近くに度門蘭若を建立してそこに移った。
*[[700年]]([[久視]]元年)、94歳で[[武則天]]に招かれ、翌年、95歳で上京を果たした。彼は肩輿にて[[内道場]]に上殿し、北面して臣礼をとることなく、[[長安]]・洛陽の「両京の法主」となり、また、武則天、[[中宗 (唐)|中宗]]、[[睿宗 (唐)|睿宗]]の「三帝の[[国師]]」となった。度門蘭若は度門寺に昇格した。
*706年(神龍2年)2月、101歳で洛陽の天宮寺で没すると、中宗は詔して龍門山に葬り、岐王李範、張説、盧鴻の3人が碑誄を撰した。3月、諡して大通禅師の号を、度門寺には[[勅額]]を賜った。