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[[ファイル:1959 washington birthday handicap.jpg|thumb|250px|アメリカ初勝利の瞬間。内側埒沿いがハクチカラ]]
そして11戦目、レイモンド・ヨーク([[:en:Raymond York|Raymond York]])が騎乗したワシントンバースデーハンデキャップ(現在のサンルイスオビスポハンデキャップ、[[:en:San Luis Obispo Handicap|San Luis Obispo Handicap]])では、16頭立て15番人気という評価ながら、前半800メートルを過ぎる辺りで先頭に立つと、そのままゴールまで逃げきって日本競馬史上初となるアメリカ競馬での勝利を挙げた<ref>岩川(1994)p.302</ref>。11.5kgもの負担重量差や、相手に故障のアクシデントがあったとはいえ、当時の世界賞金記録を持っていた[[ラウンドテーブル]]を破ってのものであり、日本の[[新聞社]]は写真入りの記事でハクチカラの勝利を伝えた。2着はアルゼンチンの馬で、その後アメリカでサンマルコハンデキャップなどに勝ったアニサド。3着はイギリスのオータムブリーダーズ2歳ステークスを勝ったアオランギ、4着もイギリスのカナスタであった。この勝利について、尾形藤吉は著書の中で「ハンデも軽かったが、遠征するからには、少なくとも半年前に行って育成調教する必要があるということだろう」と感想を述べている<ref>尾形(1967)p.228</ref>。
 
ハンデに関しては、ラウンドテーブルだけが134ポンドと飛び抜けて重く、そのほかの出走馬は104~115ポンド(例えば同年の[[サンルイレイハンデキャップ|サンルイレイS]]に勝ったインファントリーは110ポンドであった)とハクチカラ(109ポンド)だけが軽いわけではなかった。
 
当時はグレード制導入前であり、ワシントンバースデーハンデキャップの位置づけには議論がある。しかしながら1着賞金が5万ドルもあり、ケンタッキーダービーの1着賞金が11万9650ドルであったことを考えれば高賞金のレースである。なお、この1レースの賞金だけで、ハクチカラが日本で稼いだ総賞金を超えてしまった。
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